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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第45回 人気ナンバーワンのニューハーフから介護施設の経営者へ転身 
「はちきん」魂で、LGBTの人たちにも活躍の場を広げたい

人気があるのは若いうちだけだから、
ずっと働ける看護師を目指そうと思った

 25歳になり、母も姉二人も看護師という環境だったので、私も自然と看護師を志しました。当時、ニューハーフとしては絶頂期だったわけですが、チヤホヤされたり人気があるのは若いうちだけだと思っていたんです。40代、50代、60代になったとき、この人気をどうやって維持し続けるのか・・。ショーパブの経営者は別として、50代、60代で第一線で活躍しているニューハーフは、東京には、ほぼいない。ある程度の年齢になると皆、地方に流れて行くんですよ。実際、私が最初に勤めた高知のゲイバーには、地元の人間は、自分も含め、2人だけ。あとの十数名は皆、大都市から流れてきた人ばかりだったんです。

 そこで、きちんと資格を取って、ずっと働ける看護師を目指そうと思ったんです。働きながら通信の高校に通い、高校卒業の資格を取り、いよいよ看護学校に入学しようと思い、手続きを取ったら、戸籍の性別(男性)と、見た目の性別(性転換した女性の姿)が違うのは患者さんも混乱するとかで、ことごとく受け入れを拒否されてしまったんです。当時はちょうど性別を変える法律が揺れている頃で、戸籍は男性のままだったんです。まわりからは、「学校に通う間だけ、男性の恰好をすればいいじゃない」と言われたんですが、それは自分を偽ることで、どうしても嫌だったんです。「書類1枚で何なの!」と、閉鎖的な制度に本当にがっかりしました。人生の中で、一番大きな挫折でした。努力してもダメなことがあると思い知りました。

間口が広かった介護の世界

 看護師の夢が断たれ、もう一度本気で水商売で頑張ろうと、自分で営業目標を立て、それに向かって懸命に働きました。それが全部かなった26歳のとき、「自分は、このままホステスをやりたいの? 本当は何がやりたいの?」と自問自答して出した答えが「起業」だったんです。「看護はダメだったけど、介護の世界はどうなのかな?」と思って、いろいろ調べてみると、すごく間口が広かったんですよ。「葛目さんの性別が男性でも、私たちは受け入れますよ、だから気にせず来てください」と言ってくれたんです。昼は学校へ通い、介護の資格を取り、夜は水商売で「介護で起業」するための資金を貯めました。

 17歳から10年続けた水商売を辞めて、古民家型小規模デイサービス「ひまわり亭」(定員10名)を、28歳のときに立ち上げました。何故、いきなり施設を運営したかというと、自分と同じ境遇の人たちが昼の世界に行っても、さまざまな偏見や差別からいづらくなって、また水商売に戻ってきてしまう姿を見てきたので、「だったら、自分で立ち上げてしまおう」と思ったからです。

 最初はスタッフ6名からのスタートでした。私もまだ若くて、がむしゃらに突っ走ってしまった結果、離職率が高くて、「こんなに一生懸命やってるのに何故なんだろう・・」と考えたら、夜の世界で培った根性論をそのまま、昼の世界でも「気合だ! 根性だ!」ってやっちゃってたんです。夜の世界は、熱いスポ恨のような根性論が通じたんですね。叱って、掴み合いの喧嘩して、一緒に泣いたり・・。ある意味、わかりやすい世界なんです。昼の世界は、もっと、クールというか、根性論は通じない。郷に入れば郷に従えで、変わらなくちゃいけないのは自分なんだと気づいたんです。それからは、スタッフとは一歩引いて付き合えるようになりました。

 起業したばかりの頃、ヘルパーの資格しか持っていませんでした。あるとき、生活相談員の職員が強気に出たんです。生活相談員がいないと、事業そのものができなくなってしまう。口には出しませんでしたが、「私が辞めたら、困りますよね」と、要はそういうことだったんです。それがすごく悔しくて、1年かけて資格を取り、昨年、介護福祉士も取得しました。

子どもの頃つらかったことが、大人になって武器になる

 会社を設立したとき、私と同じLGBT(注)の人たちがカミングアウトできず、昼間働きたくても働けない、そんな人たちのための受け皿をつくりたい、その受け皿になれればと思っていました。それで広告を出そうと思ったら、広告会社から「そんなことを書いたら、職員が集まらず、開設できませんよ」と言われてしまって。私としては、「LGBTであるということが壁になるなんて、おかしい。表面だけ見ないで本質を見てほしい」という気持ちがありましたが、今は会社を興すことが先決だと思い、断念しました。

 そんなわけで、数名の職員を除いて、スタッフにも関係者にもカミングアウトしていなかったんですね。設立から5年経ち、会社も落ち着いてきたので、思い切って去年カミングアウトしました。広告会社を説得して、「経営者でもあり、現場に立っている私自身がLGBTです。会社の待遇の中には『性転換休暇』というのもあります。なので、就職に悩んでいたら、うちに来てくださいね」という広告も出しました。広告会社では前代未聞の出来事だったみたいで、やはり、すごく勇気のいることでしたね。今まで誰もやった人がいないので、一つ障害を乗り越えたという感じです。カミングアウトしてLGBTの人たちが会社に入ってきましたが、スタッフの中には「気持ち悪い」と、去って行く人もいました。逆に、私の理念に共感してくれたスタッフは残ってくれました。

 LGBTの人たちは、子どもの頃からさまざまな差別や偏見などからいじめられた経験があるんです。私も男の子として生きていかなくちゃならないので、人と違って見えないかと常に人の顔色を窺ってきたというか。いつもアンテナを張っている状態なんですね。子どもの頃はつらかったけど、大人になると、それが武器になる。人をよく観察する、察知能力が身につくんです。水商売をしていた頃、お客さんから「よく気がつくね」と言われましたが、子どもの頃の経験から人をよく観察する癖がついて、人が何を求めているのか常に考えていました。介護の仕事って、察知能力が全てだと思うんです。利用者さんを観察して、見抜く力は、LGBTの人たちには備わっている。心に傷があるので、人に対して優しい人が多く、介護の仕事にとても向いていると思います。

この世界に来て本当によかった

 ここでは、スタッフに、「まず自分が楽しんでね」と伝えています。楽しいと、それが利用者さんに伝播していく。まずは自分からということです。自分がそれをやりたいか、どうなのか、それが一番私にとって大切なことなんです。後悔はしたくない。なので、職員にも「迷ったらやって」と言っているんです。今まで自分が現場に立って仕事をしてきましたが、これからは人を育てていく時期に来たのかなと思います。

 介護職って、考え方が自由でいられる。ノーマライゼーションというか、壁がない。カミングアウトしてから、そういう実感をひしひしと感じています。この世界に来て本当によかったなと。

 これからの夢は、障がい者や子ども、高齢者などが一緒に共存できる場所を作り、それを取り巻く職員が、外国人やLGBTだったり、いろんな個性をもった人たちが集まって、自分らしくいられる村のような集合体を作って、私はそこの村長になりたいです。

 そして、私と同じ境遇で悩んでいる後輩たちの小さな光になれたら・・。やってできないことはないと感じてもらえたら嬉しいです。

  • ※注:LGBTとは、性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称。


ショーパブに勤めていたころ

インタビュー感想

 葛目さんは、古民家型小規模デイサービス「ひまわり亭」を立ち上げた後、ワンフロア型小規模デイサービス「咲くよひまわり亭」、訪問介護・居宅支援事業所の「ひまわりの華」と事業を拡大してこられました。事業所すべてに「ひまわり」の名が付いている由来は、「利用者さんもスタッフも、いつも太陽に向かって明るく楽しく、元気で過ごしてほしい」という願いが込められているそうです。

 LGBTであることをカミングアウトされてからは、ニュース番組でも特集を組まれるほど、今や時の人です。葛目さんそっくりな「はちきん」なお母さんも、東京での仕事ぶりを見て「ちゃんと会社やってんのね!」と安心されたそう。

 「はちきん魂」満載の葛目さんは、常に自分に正直に、前に向かって突き進んできましたが、一方では他人を思いやる本当に優しい方なのだなと実感しました。「老後は、趣味のダイビングのお店や、仲間を手料理でもてなす小料理屋さんもやってみたいな」と、ひまわりのような笑顔で話してくださいました。

【久田恵の眼】
 人生は困難に満ちていて、常に想定外のことが降ってきます。でも、そういう困難を乗り越えていくことこそが、生きるということの醍醐味なのだ、とあるとき、気づきます。私は、今、やっと気づきました。でも、葛目さんは、すでに十代で気づいてしまったのですね。しかもそのどんな困難にもポジティブな側面が必ずあることも知っている方です。葛目さんは「介護職って、考え方が自由でいられる」と言います。確かに、介護の現場は、常識とか世間という衣を脱ぎ捨てて、そのままでそこにいられる場所です。ちょっと視点を変えれば、とてつもなくミラクルでファンタスティックな世界です。
 「介護職」という仕事のポジティブ性に気づいた方たちは、みんなとても魅力的です。