介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第42回 とんかつ屋さんから「とりあえず」入った介護の世界で16年
「利用者さんの生活を思うと、そう簡単には投げ出せない仕事なんです」
峯山智子さん(60歳)
あおぞら港事業所(東京都港区)
取材:石川未紀
「それでは、とりあえず」というくらいの意識から
地元の小学校を卒業した後は、私立の中・高へ進み、卒業後は、専門学校へ進んで就職。経理の仕事をしながら、母校でお茶を教えたりしていました。その後、結婚して、二人の男の子にも恵まれて、平凡な毎日を送っていました。
ところが、あるころから夫が借金をして、夫婦仲も少しずつすれ違うようになったんです。当時、夫婦でとんかつ屋をやっていたんですが、それ以外にも夜、バイトを週に3、4日していました。定休日が月曜だったんですけれど、その日にヘルパーの資格をとる勉強に通っていました。祖母の介護で腰を痛めたので、ちゃんと勉強しておいたほうがいいっていうこともあったんですが、心のどこかで離婚を意識していたところもあったと思います。夫にはバイトのことも、ヘルパーの資格をとったことも事後報告でした。
夫婦の仲が冷え切っていくと、小学生だった長男にチックが出てしまい、「お母さんの言動が影響して子どもの体に出るのだ」と言われました。子どもの前では、不仲なところなど見せていないと思っていたのですが、やはり子どもというのは敏感に感じ取るんでしょうね。
それで、もう限界だなと思った時点で、子どもに「離婚してもいいか」と相談しました。二人の子どもの了解を得て、離婚。私、飲食店の仕事が大好きなんですけど、夫からは「とんかつ屋を続けるのはやめてくれ」と言われて……。離婚しても夫婦でお店をやっている人もいるんですけどね。でも、まあ、それで私は、高齢者施設で栄養士の仕事をしている友だちに仕事を紹介してほしいと頼んで、ヘルパーの仕事を紹介されたんです。
最初は登録ヘルパーという形で、非常勤でした。事務所から要請が来ると、そのお宅へ行くという生活が1か月。それでも8万くらいになったので、フルでやれば暮らしていけるんじゃないかって思いました。でも、事務所のほうからは社員にならないかと誘われて…。私は、飲食店の仕事が好きだったので、いつか自分の店を持ちたいと思っていたのですが、「それでは、とりあえず」というくらいの意識から社員となり、16年目です。
社員になって働くようになっても、当時、子どもは高校生と小学生。しばらくすると下の子がいろいろと問題を起こして呼び出されることもありました。そのたびに事務所に「すみません」って頭を下げて、抜け出したりして。それでも、事務所の人は忙しいにもかかわらず、温かく見守ってくれました。今では、長男は結婚して独立しましたし、次男もすっかり落ち着いて一人暮らしをしています。やんちゃだった次男も、結構何かあるたびに顔を出してくれるやさしい子になりました。
理不尽極まりないこともたくさんありました
とんかつ屋をやっていたので、野菜の煮方、ゆで方なども、かなり本格的にやっていました。だから、高齢者の方の状態に合わせて、硬さを調節したりするのは、普通の主婦よりもうまかったと思います。仕事としてやっていた分、手際にも自信がありました。でも、つらいこともたくさんありました。私は、ヘルパーと利用者の方は同等だと思っているのですが、人によっては召使いのように扱う人もいる。利用者の方のADLを上げるためにも、すべてをやって差し上げるのではなく、一緒にやったり、自分でできるように促したりすることもヘルパーの仕事です。でも、「そんなことは、ヘルパーのあなたがやればいいことでしょう」とか言われたり、クレイマーのような人がいて、「私はへび年だから、ねずみ年の人はだめ」などと言われたり。もう理不尽極まりないこともたくさんありました。辞めたいと思ったこと? 今だって週に2回くらい思うかしら(笑)。
でもね、本当に辞めたいと思うのは、自分が失敗してしまったときです。ヘルパーさんが急遽行けなくなってしまった場合には、代わりの人を手配したり、私が訪問しなくてはいけないのですが、コロッと忘れてしまったことがあって・・・。「もういやだ、なんで失敗をしてしまったのだろう、辞めてしまおう」と思いながら訪問先に誤りに行くと、「誰にだって失敗はあるよ、だから大丈夫」と言ってくださって・・。すると、私も「利用者さんとまた一緒にやっていこう。絶対今度は失敗しないぞ」って決意を新たにして、そんなこんなで今日まで続けています。
あまり利用者さんに入り込んではいけないとは言いますが、やはり人間同士なので、情が移るということもあります。長い方は来た当初からずっと入っているのですが、どうしても私ということで指名があって、今もその方は続いています。もちろん、私がいなくなったら、何もわからないでは困るので、ほかの方にも入ってもらっていますが、この職業の悩ましいところですね、ほどよい関係というのは案外難しい。完全に割り切ることはできないでしょうが、けじめというかどこかで意識していないとだめですね。
そうそう簡単に投げ出せる仕事ではないと思っています
辞められない理由、もう一つは「責任」かな。だって相手は生身の人間で、しかも日常生活がままならないような高齢者や障害者の方です。「やーめた」って言ったら、その方たちの生活はたちまち立ち行かなくなってしまうでしょう。今、私は介護福祉士の資格をとって、この事務所ではサービス提供責任者という立場ですが、一人ひとりの申し送りや書類だってそろえなくてはいけない。割と性格的に完璧にやりたい性格ということもあるとは思いますが、そうそう簡単に投げ出せる仕事ではないと思っています。
それにやっぱり「ありがとう」と言ってくださるのは、うれしいですよね。それがあるから続けていられるのかな。
心のケアもこの仕事には大切
サービス提供責任者という立場になって、ヘルパーさんたちをまとめるという仕事もあります。「現場でつらかったことがあったら、ここで吐き出して言ってね」と言っています。特に高齢者の訪問は、行ったら倒れていた、亡くなっていたということもあるわけです。そんな現場に出くわせば、あわてるのも、ショックを受けるのも当然です。心のケアもこの仕事には大切なことだと思っています。
そういう意味も含めて、この事務所は明るくていい感じなんです。社長がわりと現場に任せてくれるのも、うまくいっている理由だと思いますし、メンバーも長く勤めている人が多い。私もずっとここですしね。アットホームで何でも話やすい雰囲気があるから、そうしたケアもしやすいんです。有志で小旅行や花見にも行きます。あとはヘルパーさんたちが腰など体を痛めないよう、福祉用具は積極的に使っています。そういう部分で楽になったほうが、時間的にも体力的にも余裕ができて、利用者さんにもゆとりを持って接することができますから。私がこの世界に入ったころより、障害の方も、高齢者の方も、制度改正を受けてサービスを利用するのが厳しくなってきていて、本当にギリギリのところで生活している方も増えてきているので、精神的な面での支えも大事になってきますね。
飲食店の夢? もちろん、捨ててないんですよ。ここを定年になったら、小料理屋をやりたいなって。和服を着てね。どんな人でも気軽に立ち寄れるようなアットホームなお店ができたらいいな。
インタビュー感想
事務所でインタビューさせていただいたのですが、ほかのスタッフの方も「元気はつらつ!」といった感じで、皆さん笑顔で応対してくださいました。スタッフ同士それぞれの事情をちゃんと分かって、みんなで分かち合い、協力し合っているんだなと。峯山さんもいろいろつらい経験もされたのでしょうが、それでも利用者の方の生活や命を守っているという思いや責任感はなかなか誰にでもできることではありません。「誰でも気軽に立ち寄れる小料理屋」もぜひ実現させてほしいと思いました。
- 【久田恵の眼】
- 介護職に就いている方には、峯山さんのように離別シングルマザーの方が、たくさんいます。子育てとの両立で、常勤では働けない、介護職のパートなら何とかやれるかも、そんなやむにやまれずの状況の中で、介護職でとりあえずの生活自立を目指した方たちです。取材を続けていると、彼女たちが、まさにパイオニアとして、介護という仕事の場を切り拓いてきたのだという実感を持ちます。介護の現場は、生身の人と人とが切り結ぶ世界。理不尽なこともたくさん経験しますが、切羽詰まって生きる彼女らは、その度に自分の心のしなやかさを鍛え、洞察力を深めてきました。しかも、介護職を続けてきたどの方も、低賃金と言われているこの世界で、女ひとりで子どもを育て上げ、立派に自立させてきています。生き抜く力を培ってくれる仕事、それはお金では測れない人生の資産を形成することでもある、そんな思いがします。