介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第38回 デザイナーから一転、母に背中を押されて介護の世界へ
小山信太郎さん(31歳)
株式会社ケアメイト 港営業所(東京都港区)
取材:石川未紀
僕は介護の仕事をやっていこうと決心した
30歳までデザインの仕事をしていたんです。幼いころからあこがれを持ち始めて、卒業後は、デザイン関係の専門学校へ進みました。その後は、文房具のデザインに携わる仕事をしていました。自分のアイデアやお客さんのアイデアを形にしていくような、いわば商品開発デザインの仕事です。
楽しかったんですが、3年たったころ、少し新しい方向性でやっていきたいなと感じ始めて…。ほかの会社からも誘いがありましたし、いずれは自分の事務所を持ちたいと考えていたので、一度、その会社を辞めたんです。半年後に、別の会社でパッケージデザインの仕事をしていました。そこでの仕事もやりがいはあったのですが、とにかく忙しい上に、どうにもお給料が見合わない。それで、30歳を区切りに、もう一度仕事について考えようと思いまして、その会社も退職したんです。
しばらく、自分はどういう方向性でやっていけばいいのかと悩んでいたときに、介護の仕事をしていた母から「介護の世界で働いてみない?」と声をかけられたんです。人の役に立つ大切な仕事だということはわかっていましたが、大変さもまた目の当たりにしてきたので、しばらくは悩みました。母が会社から緊急の対応で呼び出されて、あわてて出て行くのも見ていましたし…。それに、訪問介護の仕事はそう簡単ではないということも、母を見ていればなんとなく感じることはできましたから。
僕は、デザインをこれまで仕事としてやってきましたが、退職後、インターネットで趣味としてペーパークラフトの紹介をしていたんです。子ども向けのペーハークラフトの展開図をホームページ上に公開していました。すると、お父さんから「子どもと一緒に作りました」と写真を添えてコメントが来たりして、うれしかったですね。
この経験を通して、自分は人が喜んでくれることが好きなんだなと気づいたんです。デザインはこうやって趣味としてやっていければいいんじゃないかと――。介護の仕事は直接相手と向き合ってその人を手助けできる仕事、母は、大変そうではあるけれど、一方、この仕事に誇りを持っているとも感じていました。だからこそ、息子の僕に勧めたのだと思い至りました。それで、僕は介護の仕事をやっていこうと決心したんです。
一つとして同じことがないのが、訪問介護の世界
実は、それを後押ししたのは、東京都のトライアル雇用事業というものでした。僕は、そのとき、資格は持っていなかったのですが、就業した事業所から資格取得のための学校に通わせてもらえ、その費用も出してもらえ、さらに、お給料ももらえて、社会保険もあった。学校に通う交通費まで支給されるとのことで、資格を取るまでの、生活の心配がいらないというのもリスクが少なくて挑戦しやすい環境でした。それに事業所に所属していましたので、学校に通っている時から、現場に同行させてもらうことができたのは、すごく良かったですね。やはり学校の勉強とは違いますから。
2015年10月から1か月あまり学校に通いました。研修内容が変わったばかりとのことで、教科書がとにかくいっぱい(笑)。学ぶことが増えていました。介護保険も一から学び、介護の基礎はしっかりと学べる内容でした。難しかったですし、覚えることもたくさんありましたが、やるからにはしっかりと学びたいという気持ちでしたので、かえって、内容が変更になったあとで研修が受けられたことはラッキーでした。
11月半ばから現場に一人で出るようになりましたが、同行させてもらっていたとはいえ、自分一人でやるとなると、また一から、という感じです。ご自宅での身体介護や家事援助だけでなく、通院や移動支援など外出のお手伝いまで、一通りのことはやりました。しっかりと学校で学んできましたが、誰一人として、ぴったりと当てはまることなどなく、当然といえば当然ですが、一つとして同じことがないのが、訪問介護の世界なのだなと、日々勉強です。現場で手順にないことを頼まれることもたびたびありますので、事務所と連絡をとりながら、利用者がどうしたら快適に自宅で過ごせるかを考えながら仕事しています。
僕くらいの若さだと、利用者の子どもや孫世代。まだまだ頼りない存在なのかもしれませんが、逆に、僕を見て、「うちにもこんな子(孫)がいてね…」と話してくださることも多いんです。「寒いんじゃないの?」とか、心配してくれることも多い。それもきっと親心のようなものなんでしょうね。だから、僕はあまり自分から話題を探して話しかけるというよりは、相手の話を聞くようにしています。「この間、足が痛いって言っていたけど、今日はどうですか」とか、そんなふうに聞くと相手がいろいろ話してきてくれるんです。こちらは介護や作業をしながら話を聞くのですが、話を聞くのは楽しいですね。教えてもらうことも多いですし、いろんな方の人生経験を聞くことができるのは、仕事は別にしても興味深いし、勉強にもなります。
まだまだ駆け出しですが、近頃少しずつ慣れてきて、普段はしゃべらない気難しい方がポツリと「ありがとう」と言ってくれることがあって、それはとてもうれしかったですね。何しろ訪問介護は一対一の仕事。自分の工夫が、相手に直につながっていけるわけですから、そういう意味ではすごい仕事だなと思いますし、こんなにやりがいのある仕事もないなと思いますね。利用者の方の個性が少しずつわかってくると、今日はこんなふうにしようと、入る前から考えて入るようにしています。ベテランさんのヘルパーさんにはまだまだ追いつかないですが、とにかく今は、一生懸命誠実に、ですね。
やってみれば、やりがいもある仕事だと思います
実は、今、僕が働いているのは、母が勤めている事業所。事業所では親子ではなく、上司と部下ですが、それでも何でも相談できるという利点はありました。母は僕が中学のときから、女手一つで3人の子どもを育ててくれました。その母は、介護の世界で一番忘れてはいけない大切なことは“心”だと。そして、笑顔が大事だよ、と言って僕の背中を押してくれたのです。僕もこれだけはいつも心にとめています。訪問先でも、玄関先に出てこられない高齢者の方も多いのですが、玄関口での出入りの際は、必ず見えていなくても笑顔であいさつするようにしています。コミュニケーションの第一歩ですから。それに自分の気持ちを引き締めるためにも大事なことだと思っています。
将来的には、介護福祉士やケアマネジャーの資格も取りたいと思っています。確かに今は、まだまだ給与面は高くはありませんが、介護の仕事は絶対に必要な職業ですから、待遇面もきっと変わってくると思っているので、あまり心配していないんです。むしろ、若い人たちがもっと挑戦しやすいように、僕が利用したような制度をもっと活用しやすいようにしてほしいと思います。垣根が低くなれば挑戦したいという人も増えると思いますし、やってみれば、やりがいもある仕事だと思いますから。
インタビュー感想
上司で母親でもある小山千春さんにも、お話をうかがうことができました。シングルマザーとなったときは、生活のために始めた介護の仕事だったそうですが、今では、生きがいと誇りを持って処遇改善や研修にも取り組み、後進の育成に力を注いでおられました。そうでなければ、息子さんには勧められないですね。信太郎さんも、そうしたお母様の背中を見てきたからこそ、この道でやっていこうと決心されたのだと感じました。親子で一緒の事務所にいるのは、この夏までだそう。今の気持ちを大切に、この世界で大きく羽ばたいてほしいと思います。
- 【久田恵の眼】
- デザイナーを目指していた若者が、介護事業所や親のサポートを受けて資格を取得、訪問介護の仕事にチャレンジしているのです。利用者にとって、彼は孫世代。祖父母世代と孫世代、現代の家族ではすでに失われてしまった「異世代交流」が、介護の現場で生まれている、ということです。介護は教育の場でもあります。人が生きること、老いること、死すること、大事なことのすべてがそこにあります。
ホームページで、ペーパークラフトの展開図を紹介していた彼のアートなセンスが、介護の仕事の世界で生かされ、その場をより豊かなものになる日が想像されます。