介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第24回 ヘルパーとスナックのママ、二足のわらじ
「意外にも共通点が多い仕事なんです」
清水雅美さん(52歳)
ISコート サービス付き高齢者向け住宅
取材:石川未紀
母の介護がきっかけ
8年前に母がくも膜下出血で倒れて、要介護5になりました。最初から姉と「自宅で看よう」と話してはいましたが、まったく医療や介護の知識がなかったので、最初はとまどうことも多かったんです。母のかかりつけ医に「往診してほしい」とお願いしたところ、「うちは往診はできないけれど、近所に開院した『麻布光輝クリニック』は訪問診療をやっているよ」と紹介されたんです。そこの土屋院長はなんと、地元中学の先輩。「なんだ、僕の後輩じゃない!」、と言ってくださり、不安は一気に解消。いろいろ親身に相談に乗っていただき、最期も看取っていただきました。
土屋先生はそのころから在宅医療に熱心で、志を同じくする土居先生の先輩が、自立型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の「ISコート」を、土屋先生ご自身も医療介護型のサービス付き高齢者向け住宅と看護小規模多機能型介護の複合型の施設「青山メディケア」を開所されたんです。母が亡くなった年に「ISコート」ができたのですが、土屋先生が「介護の経験が活かせるから、ここで働いたら?」と声をかけてくださって…。ヘルパーの資格を取って働き始めたんです。
「ISコート」はいわゆる自立型のサ高住なので、私は生活相談や安否確認、ゴミ出しとかちょっとした御用をうかがったりするのが仕事。いわゆる身体介護などは突発的に具合が悪くなった人などの対応以外にはありません。要介護度が進んだり、常時医療が必要になった方などは連携している「青山メディケア」に移られたりするので、昼間は私一人で対応しているのですが、それほど不安はありません。
むしろ、ここでの仕事の一つに「傾聴」があります。皆さん、スタッフが来るのを待っているかのように、あれこれお話ししてくださる。本当はおしゃべりしたくて仕方ないんです。でも、プライバシーの問題とかもあって、入居者同士というのは少し遠慮があるみたい。私のようなスタッフだと気にせず話せるのかもしれませんね。
共通点の多いスナックと介護の仕事
実は私、親の代から続く西麻布のスナックでママをしています。もちろん、今も現役。店は一人で切り盛りしています。「えー?」と思われるかもしれないけれど、このスナックのママの仕事がとても介護の世界でも役立っているんです。親の代から続く店だから、お客さんも60代から80代の方が多い。うんと若いころから私を知っている人もいるから、いまだに子ども扱いされて叱られることもあるし、開店当初からのお客さんには、私のほうが「だめじゃない!」なんてお説教することもある。
会話のキャッチボール…、私自身はうまいかどうかはわからないけれど、ヘルパーの資格を取るときに習ったことよりは役に立っているかな。勉強はあくまで勉強。学んだことは理想ではあるけれど、現場ではその通りいかないことも多々あるということは母の介護でよく知っています。ヘルパーにも「相手の言うことを頭から否定せず、まずは認めてあげる」というようなメンタルな勉強も多少はあったけれど、これもまた人によって千差万別。それは、ずっと接客してきたからよくわかっているんです。
やさしく肯定されても、逆に馬鹿にされているみたいと感じる人もいるでしょう。ましてや、今ではお世話される立場になった高齢者の方だって、私より人生経験が豊富な年長者なわけで、その自尊心は大切にして差し上げたい。そこだけはいつも気を配っているかな。多少、物忘れや言うことが少し食い違っていても全然気にならないですね。誰だって歳をとればそんなことはよくあることだもの。
「相手はどうなのかな」って思う気持ち、それは大切だと思います
サ高住のスタッフとして働いていると、私は若者だから(笑)、「いいわね、若いって」と言われることもあるし、親目線で心配されることもある。そんなときは「はーい」とか「わかりましたぁ」と子どものように返事をしたりね。実は、同居していたわけではないけれど、祖母は晩年、認知症になって、迷子になって翌朝保護されることもありました。もちろん、こちらも大変だったけれど、祖母だって不安になることは、たくさんあったと思うんです。相手の気持ちがわかるなんてことはないですよ。想像したって、違うことはきっとたくさんある。でも、「相手はどうなのかな」って思う気持ち、それは大切だと思いますね。
なんていうのかな、スナックとかでいろんな人のいろんな人生の話を聞いたりしていると、たぶん、人のことをこうだって単純に決めつけなくなる。いろんな気持ちが混ざっているんだなって思うから…。普段はそんなに気にしてはいないし、「そうかそうか」とか言いながら聞いているだけなんだけど。そんな気楽な感じもよくて、高齢者の方は話しやすいかもしれないですね。
余談だけれど、今、同級生の友だちに頼まれて、動物病院のお手伝いにも行っているんです。そこでも、なぜか飼い主さんから治療法についてどうしようって相談を受けるんです。みんな、相談したり話したりして安心したいんですね。高齢者の方は健康のこと、自分の最期のことなどを深く心配されることも多いし、ある意味、それは当然なことだと思います。だから、時間の許す限り、あるときはヘルパーさん、あるときは友人、あるときは娘、あるときは親みたいになって、話を聞いて差し上げたいですね。
インタビュー感想
人とのつながりをとても大切にされている方で、あちこちからいろいろなことを頼まれて、猛烈に忙しいそうですが、「マグロみたいに動いてないとダメな性質(たち)(笑)」と、自らのことをおっしゃっていました。明るくチャキチャキとした雰囲気が、親しみやすくて、高齢者の方も話しやすいのでしょう。「教科書的」な対応じゃないところも、高齢者の方が会話を楽しめるのかもしれません。
- 【久田恵の眼】
- 高齢になって、介護を受けるようになったら、話し相手は自分を介護してくれている人だけということになりがちです。その相手が、どんなに親切で優しくて、行き届いていても、入所している場所が、素敵で立派でも、やっぱり、人はどこか寂しいのではないでしょうか?
愚痴をこぼせる友人がいたり、遠慮なくいさかいのできる相手がいたり、慰めてあげられる人がいたり、親のように叱る相手がいたりしたら、いいですねえ。つまりは、多様な人と人との関係があって、助けたり助けられたり、その相互性が人をいきいきとさせてくれるのですね。生きている実感が持てるのは、そういう多様性の中でともに暮らしている実感だということを、忘れてはならないように思います。