介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第18回 福祉用具専門相談員から華麗にキャリアアップ!
後に続く後輩の道しるべになりたい
継枝綾子さん
パソナライフケア(東京・千代田区)
取材:藤山フジコ
若かったのでタフでしたね
私がこの業界に入ったきっかけは、漢方薬など調剤薬局を経営している会社に入社したことからでした。介護保険という新しい制度ができるということで、会社が福祉用具のショップを立ち上げることになったんです。そこで、私は福祉用具専門相談員という資格を取得し、9時から17時までは福祉用具専門相談員としてショップで働き、17時から20時までは薬局に戻り、仕事をしました。その頃は介護保険が始まる前だったので、車いすも介護用ベッドも全て実費で皆さん購入していましたね。
販売の仕事だけしていると介護は学べないと思い、ヘルパー2級の資格を働きながら取得しました。ヘルパー2級の資格を取るように勧めてくださったオーナーに「せっかく資格を取ったんだから、ヘルパーとして働いてみたらどうだ」と言われ、看護婦家政婦紹介所に登録して働き始めました。福祉用具専門相談員としてショップに立ち、看護婦家政婦紹介所から利用者の家に派遣され、夜は薬局。若かったのでタフでしたね。毎日が新しい発見や学びの連続だったので、日々充実していました。介護保険がまだなかったので、利用者からお金の代わりに1時間とか3時間の介護券を渡されるんですね。その券を看護婦家政婦紹介所に提出する、そんなシステムでした。
資格を取ることはゴールではない
3年目に、介護福祉士を取得しました。真面目に必要な期間、実績を積めば試験を受けるチャンスをもらえるのです。当時お世話になったオーナーに「資格を取ることはゴールではない。その後の理想の自分を目指すために資格というものはある」と教わりました。当時の私は確固たる信念のようなものはなく、信頼している上司がよいと言ってくれるならば、多分そちらのほうの道が自分に合っているのだろうと思っていました。結果、重荷にならず、心の余裕みたいなものがあったのかもしれません。
介護福祉士を取得してもっとスキルアップしたいと考え、調剤薬局を退職し、登録していた看護婦家政婦紹介所から紹介してもらった会社で働くことになりました。そこは、訪問介護事業、居宅介護支援事業、訪問看護ステーションの三つを併設していました。部長が看護師だったこともあり、重い障害のある方の介護が多かったですね。
一番思い出に残るのがALSの方。その方は眼球しか動かせないのでコミュニケーションは眼球のみ。ALSの特徴ですが、眼球と肛門の神経だけは通っているんですね。家族の方が「排泄は自然にさせてあげたい」とのことだったので、その患者さんの眼球の動きで排泄のタイミングを読み取るわけなんです。何度も失敗して、泣かれてしまったこともありました。全く身体の動かない方とのコミュニケーションをこの仕事で学びました。
介護福祉士を取得していたので、次は介護支援専門員(ケアマネジャー)に挑戦しました。2000年に介護保険制度が施行され、そのときに資格を取得し、スタートと同時に私もケアマネジャーになったのです。4年間、ケアマネジャーとして働きました。
20代の頃、スキルのなかった自分は、利用者や家族の問題に一緒になって泣いたり、苦しんだり。1件ごとに感情を動かして対処していたので大変でした。逃げ出したくなったこともありました。でも、このような体験を経てケアマネジャーになったので、少々のことでは動じなくなりました。
介護されている家族の悩みを相談されても、感情が先だってしまうと共倒れになってしまう。最初は精神的に大きなダメージを受けましたが、何とか乗り越えてきました。相談援助の専門職は、心も身体も強健でなくてはならない。そんなことを身に染みて感じたので、好きなことにまい進するために備えようと、整体の学校にも通い、資格も取得しました。いろんな角度から勉強しましたね。会社ではケアマネジャーの仕事と並行して「ヘルパー2級講座」を行うNPO法人を立ち上げましたので、ヘルパー2級の講師も担当しました。
その後、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所、福祉用具の事業所、この三部門を運営している会社に転職しました。そこでケアマネジャーとして働き、研修などにも積極的に出席していました。「基礎が大事だ」と以前の職場のオーナーに言われ続けていたので、研修で基礎ばかり勉強していました。たまたま主任ケアマネジャーという制度ができて、基礎ができている人から優先的に受けられることになったんです。主任ケアマネジャーを取得し、ヘルパー2級の講師も続けながら、この会社には8年間在籍しました。
4年間、ケアマネジャーとして働き、その後の4年間は事業所の所長として職員のマネジメントや事業所の運営など今までとは違った仕事にシフトしました。スタッフにも恵まれ、やりがいがあったのですが、チャレンジが好きなもので(笑)、そろそろまた新しい仕事にチャレンジしたいと思っていたところ、縁があり、現在のパソナライフケア(当時はパソナソーシング)に入社することになりました。
人の助けになる仕事って素晴らしいことだと思うんです
パソナグループとの出会いは、自分にとって大きな変化でした。入社当時は居宅介護支援事業所をオープンしたばかり。私はそこのケアマネジャーをしつつ、デイサービスの立ち上げにもかかわりました。その後、ヘルパー2級を取得した人に向けたブラッシュアップ研修と、生活保護の受給者を対象に介護の魅力を伝える就労支援の研修もしてきました。介護は裏方の仕事のため、どうしても暗く見られがちですが、人の助けになる仕事って素晴らしいことだと思うんです。そのことをもっと表に出して、働くことに誇りに思えるような伝え方をすれば働く人も増えると思うんですね。
対人援助の仕事は、利用者をあるがまま受け入れる寛容な心と察する力が求められます。また、感情に押し流されないように自己統制も必要なので、常に訓練が必要です。特に、介護は、対象が人生の先輩である高齢者のため、複雑です。介護が天職の人もいれば、そうでない人もいる。その人、その人に合ったキャリアアップできるシステムを打ち出し、自分に合ったレールをわかりやすく提示してあげれば、若い人も増えて現場も変わると思います。
介護は人の役に立てる尊い仕事ではありますが、きれいごとだけでは続きません。研修では、「仕事でボロボロになって這い上がってこないとステップアップしたくてもできないよ」と話しています。自分が辛い思いをして、乗り越えて初めて相談員とか人を助ける立場になったとき、真実が伝えられると思います。
私も17年この仕事をしてきましたが、今年になってやっと腹を据えて頑張ろうと思えるようになったんです。逃げずに頑張ろうと(笑)。今までの経験が今の仕事に全て集約されていると感じます。また、今まで出会った人生の先輩に心から感謝しています。後に続く後輩たちには、私の生き方を通して、「こんな道もあるんだよ」という道しるべになれたらいいなと思っています。後輩たちには「資格を取ることはゴールではない。その後の理想の自分を目指すために資格というものはある」「基礎が大事だ」ということを伝えていきたいと思います。この介護の世界に導いてくださった当時のオーナーの言葉が、私の原点だからです。
2025年問題で話題になっている、介護を必要とする人が爆発的に増加する問題、働き盛りの介護離職など、これから介護の世界は大きく変化していきます。パソナグループは「社会の問題点を解決する」が企業理念のため、そのときのために介護離職予防サービスなどを企業に提供できる事業に、いま取り組んでいます。
インタビュー感想
「華麗にキャリアアップ!」とタイトルに記しましたが、継枝さんは現場叩き上げでここまでこられました。目の前のチャンスは必ずつかんできたたくましさ、興味を持ったらすぐに行動に移す実行力、理想を実現させる意思の強さが備わっていますが、しなやかで気遣いのできるスーパーウーマン。介護の仕事は離職率も高いですが、「継枝さんを目指して頑張ろう!」という後進の人たちにとって、まさにロールモデルとなる女性でした。
- 【久田恵の眼】
- 資格を得るために知識や技術を学び、それを現場での体験でさらに磨いていく。そのようにして、自分の仕事の質を高めていくのは、とても面白いことですよね。そのことは、自分のキャリアアップのためだけではありません。なによりも、力をつけることで自分の働く世界を相対化してみることができるようになることが大切です。
その力が、介護の現場をより良い方向へ、魅力ある世界へと変革していくのだと思います。介護職の社会的地位を上げ、その専門性を世間に認めさせていくのは、当事者が力をつけるしかありません。目下、混沌としていて、誰もが模索中の介護の世界は、それだけ変革する余地も創造する余地もたくさんあります。そこにやりがいと生きがいをみつけて、介護分野の変革・創造の担い手になる人が増えてほしいですね。