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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第14回 コープ配送バイトから介護職へ 
この仕事、私に向いているかも、と直感しました!

土居麻紀さん(43歳)
介護支援サービスしろもと(2)
グループホーム・サマリア(愛媛、久万高原町)

取材:久田 恵

介護の仕事を始めたのは、33歳のときです

 33歳まで、松山市で一人暮らしをしながら、コープで配送の仕事をしていました。毎日毎日、車を運転して注文の食材を組合員宅に届けていたのです。

 パート社員だったし、体力的にしんどくなったし、この辺でちゃんと職員として働く仕事につきたい、と思っていました。近くで母も一人暮らしをしていたのですが、私は、勝手に仕事をやめてしまいました。

 それで、職安で仕事を探したのですが、自分になにが向いているのか、全然、わからないのです。ついに、母に相談したら、「ヘルパーの資格を取れば仕事はあるから、まずは資格だけはとっておいたら」と勧められました。

 実は、母も病院で介護の仕事をしていたのです。

 

すぐに、この仕事は自分に向いていると思いました

 1か月間、短期集中の講座に毎日通ってヘルパー2級の資格を取り、職安を通して、家の近くのグループホームで働き始めました。

 そこの施設は、1階はデイホーム、2階は老健、3階がグループホーム。最初、部屋の前の回廊になっている廊下を、エンドレスで歩いているおじいちゃんを見て、衝撃を受けました。3ユニット27人もいて、「ここは、施設だよ」という感じで、みんな無表情にみえて・・・。実習で行ったのは、特養で寝たきりの方が多かったので、戸惑ってしまいました。

 でも私は、すぐに、この仕事は自分に向いていると思いました。

 仕事そのものがつらいとは全然感じなかったのです。シモのお世話とかも汚いとか思わないし、気にもならない。

 「介護の仕事は、いや」という人はいますが、最初の1、2か月を続けられたら、大丈夫かな、と思います。むろん、いろいろなことがあります。その施設には、身体が大きくて意思の疎通が難しい方で、ちょっと暴力的な行動をとる利用者の方がおられたのですが、夜勤で一人のときに、行動を制止しようとして、その方から、私、拳骨で殴られちゃったんです。そのときは、さすがにやめようと思いました。でも、一晩で思い直しました。介護の仕事をしている母にも、「そういうことはあるよ」とか、「病院なんかもっと大変なことがあるのよ」とか言われましたし。

仕事をしていて自信を失うことは何度もありましたよ

 やはり、命にかかわる仕事をしているので、とんでもない失敗があると、ゾッとして落ち込みます。最初の頃、薬を飲んでもらうのを間違ったことがあって。若ければ大丈夫でも、高齢な方は心臓とか血圧とかの薬がありますから危険です。慎重にやらなければならないことがたくさんありますから。

 松山市のその施設では、2年半働きました。

 それから、結婚したのが、久万高原町の出身で、県の土木事務所で働く人でした。それで、久万高原に来たのです。

 ここは、松山市から車で1時間ほどのところですから、遠くに来たという感じではなかったのです。でも、自分の働ける介護の仕事の場はあるのだろうか、と心配していましたら、夫の父がここの介護支援サービスの社長と知り合いで紹介してくれたのです。面接に行ったら、即刻「いつから来られるの?」という感じですぐに働き始めました。

 ここの事業所は、松山で働いていた施設とは、全然違いました。

 それで、また一から勉強ということになりました。

利用者さんの個別なニーズをガンガンかなえちゃうんです

 前のところは流れ作業のような介護でしたが、ここは、利用者さんたちと職員の関係が密なんです。利用者さんの個別なニーズをガンガンかなえちゃうんです。たとえば、松山市に宝塚の公演がやってきて、「それ観たい」とか言う方がいたら、管理者の裁量で、車に乗っけてどんどん連れて行っちゃいました。他のところだと、下見をして、計画書を出さないと出かけられないということが多いのです。

 運営している人が、どういう考え方の人か、介護ではこれがとっても大事だと思います。

 それから、施設だと厨房があって調理の人が別にいます。ここでは、職員が食事も一から一人で作るんです。当番制で。普通の家のお母さんみたいに。働いている人の分も入れて20人分かな。みんなで、同じ食事をするんです。

 私は、出産で、いったん職員を辞めたのですが、ずっと働いてきていたので、仕事に行かないでいると落ち着かなくて、子どもが4か月目から行き始めました。夫が帰ってきた夕方、5時半から7時半とか。「それでも来てもらったら、助かるよ」と言われて。夫のいる土日も半日だけ行くとかもしました。仕事場と家の距離は、自転車で5分。近いです。

ずっと、この仕事、続けるんだろうなあ、私

 子どもは、1歳で保育園に入れて、今は、普通に仕事を続けています。その子が、2歳になりました!

介護の仕事、気に入っています。

 こじんまりした地域ですから、入居者同士も幼馴染とか、知り合いとか。お互いなんでも知っています。知っていることの問題もありますが、むしろ、知っているから安心という面は大きいかもしれません。いろいろとわからなくなっても、自分の暮らしていた家のそばで、知り合いのような感じがする人たちと一緒にいるって、いいのだと思います。

 利用者の方との関係ですか? やはり、うまくいく、いかないはありますね。利用者さんから、嫌いと言われたこともあって、そういうときはめげますけど、すぐ治りますね。別の人とはうまくいっていて、相性があったりするので、それってお互い様だからと思います。ノリがいい人はノリのいい人が好きで、静かな人は静かな人がいいという法則がありますし。

 久万高原町で働くようになって、もう7年。介護の仕事は通算、9年ぐらいになりました。今のところは、「ずっと、この仕事、続けるんだろうなあ、私」、と思います。

【久田恵の眼】
 土居さんと話していたら、側にいた新人の同僚が言いました。「彼女ってすごいの、魔法を使える人なの」と。例えば、席を譲ってほしくて、「すみません、お願い」といくら頼んでもそうしてくれないというような方に、彼女が頼むと、すっと譲ってくれるのだそうです。「その人の自尊心に上手に働きかけるツボ」がわかっている人で、しかも、それが、ごく自然。天性のものであるようです。でも、土居さんは、自分では、全然そのことに気がついないようなのが、素敵なのだそうです。
 幼いときから、祖父母と暮らしていて、いささか不登校気味でもあったという彼女。いろいろあった分、人の気持ちがわかる人なのだと思います。そういう人がいるとまわりもホッとします。彼女は、誰かの陰の支えになれる人なんです。
 介護は、人と密接にかかわる仕事ですから、働く人の性格や気持ちのありよう、そして人間観が、丸ごと出てしまう仕事なのですね。