介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第8回 金融マンから介護タクシーにギアチェンジ
“いつかは花が咲く”という、農耕的な仕事に面白さを感じる日々
木本誠二さん(57歳)
アシストキャブ龍馬(東京・葛飾区)
取材:進藤美恵子
出向、そしてネットへの変化
金融業界に23年くらいですかね。長く勤めていた会社が粉飾決算を起こしてしまい、部下40数名を連れて誘われた同業他社にお世話になったんです。社内役員として、名古屋、大阪、福岡の支店を統括し、業務に邁進しました。そんなときに買収した証券会社に出向という話がきました。自分としては証券の経験もないので、再チャレンジだと思い、出向を受け入れました。
そこでは、新設部署のチームを率いる支店長として懸命に働きました。証券知識がないメンバーでしたが、実績がおもしろいように出てきたんです。そうしたら今度は、「証券のネット部門に行きなさい」と。対面営業が主流の金融業界にもちょうどネットの波が押し寄せ、その波を自分の中で受けてやっていくのかどうか悩みました。収入も立場もありましたが、将来の不安を抱えて働くよりいっそ、ギアチェンジしちゃおうと思ったのが転職のきっかけです。
今から7年ほど前ですから景気がどん底の時で、転職も思うようにいかなくて金銭的にも不利な方向に進むんですね。結局、営業というのは手に職がないですから年齢的にも転職に不利だったんです。大学生の子どももいたもんですから、もうひと踏ん張りしなければいけないと思いつつ、収入の不安がありました。でも最終的には家族が、よしという判断をしてくれました。私が車を運転するのが好きだったものですから、「介護タクシーをやってみたら」と介護職を20年近くしていた家内の後押しがあり、どうしようか考えて最終的に介護タクシーを始める決断をしたんです。年齢もちょうど50歳でしたしね。
ギアチェンジ
それで、介護タクシー業界の現状などを調べたら、さまざまな可能性がたくさんある業界に見えましてね。これまで成熟した業界を見てきた自分にとっては、驚きとともに「チャンスだ!」と思いました。
先輩といっても、5年とか7年くらいのキャリアでした。また、収入を聞くとすごく低い。まあ、やり方によってはどうにでもなるのかなと思いました。自分のライフワークを考えた場合に、ライフチャートの中では自分が健康で居続ける分には、いいのではないか。今まで数字を追いかけてきたので、ここでギアチェンジして社会貢献的な意味合いも踏まえて決断したわけです。
介護タクシー開業のために二種免許とヘルパーの資格も取りました。何か新しい仕事をしようとしたときの新規投資としてもそんなにはかかりません。コンビニ経営などはけっこうかかるじゃないですか。特殊な車ではありますけれども、自家用車兼用としようと思えばできなくもありません。
「やっぱり連れてきてよかった」
仕事内容で一番多いのは、入退院や通院の送迎です。あとは、ちょっとした遠方への送迎など、いろんなケースがあります。自分としては観光を中心にやりたかったんですけれども、思ったほど多くはないですね。2020年の東京オリンピック・パラリンピックには社会貢献できると思っています。
開業して間もなくですが、車内でご家族に「通院だけではなく、体調がいい時にお出かけをしたいとかのお手伝いもできるんですよ」とお話をしていたら、後日問い合わせがありましてね。「末期に近づいているんで、一度、鎌倉に連れて行ってあげたい」と。長女の方がお住まいで、そこに2泊3日で、「帰りは自分たちで何とか連れてくるので、行きだけお願いします」って。でも、結局帰りもお願いされましたけどね。
ご本人は、末期で黄疸も出ていて反応もない方でした。距離も長いし何かあるといけないと、介護職の家内にも同乗してもらいました。鎌倉に近づいてきたので声かけをしたんです。そうしたら、ご本人が反応したんです。それを見ていた娘さんが、びっくりしちゃって。「やっぱり連れてきてよかった」と感動しましてね。あのシーンは忘れられません。この仕事を選んでよかったと本当に思いました。
前職の金融業界や証券では、お金以外の話で、例えば出身地などの話ができなければ商売につながりません。高知出身と言ったら、坂本竜馬やカツオの話になるわけです。前職でのそういう引き出しが、現在すごく役立っているんですね。
ストレスゼロ
介護タクシーを始めて1年くらいたった時ですかね、顔つきがやわらかくなったと子どもから言われました。夜でも朝でも出ていくのは、前の仕事とは変わらない。後姿を見て、感じるところはかなりあると思いますが。素直にうれしかったですね。
金融業の時も1日に何百キロと運転することは比較的多かったんですが、苦になりませんでした。この仕事は運転することが好きな方には向いているでしょうね。ただ大きく違うのは、無償ではなく、有償で走ることです。そこにはあたりまえですが、緊張感があります。
前の仕事の時は、明日の相場がどうなったら、お客さんが大変だとかいろいろ悩みがありました。今は、仕事の夢は一切見ないです。起業当初は周りから、「絶対成功しない」と金銭的な面を含めていわれていました。
でも、よく口に出していたのは、「ストレスゼロ」。金融業では、お客さんを追いかけるハンター的な営業でした。今の仕事は農耕的なんです。農耕的な営業は今まで経験したことがありませんでした。だから、「いつかは花が咲く」という仕事は、いい意味ですごく面白く感じています。
- 【久田恵の眼】
- 「人生、煮詰まったら翔べ! そして、着地した地点からまた始めよ」というのが、 私の人生処方箋ですが、木本さんのギアチェンジも、いいですねえ。私も車椅子の母を連れて箱根に家族旅行に出かけたり、車椅子の父を連れて沖縄旅行に行ったりしました。当時は、車の確保やバリアフリーのホテルを探すのは、大変でした。でも、晩年の両親との旅は、忘れ得ぬ思い出となり、今の自分を支え続けています。高齢になっても、車椅子になっても、自分で「介護付きタクシー、1台、お願いします!」と電話をかけて、どこにでも行ける時代になったらいいですね。高齢者のための「介護付きツアー」が、実現できたら、介護中の方も、一緒に楽しんでリフレッシュできますね。ぜひ、頑張ってほしいものです。