介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第6回 幼稚園教諭から訪問介護へ
その人といいコミュニュケーションがとれたら幸せ
北川美紀さん(55歳)
NPOむすび サービス提供責任者/介護福祉士(東京・光が丘)
取材:原口美香
何か人の役に立てることはないか
私は、結婚して1人目の子どもが11か月になるまで幼稚園に勤めていたんです。その後、主人の転勤を機に退職して、3人の子育てをしてきました。一番下の娘が小学校に入ったくらいに、何か人の役に立てることはないかなぁ、と考えるようになったんですね。生協の仲間に「お薬を取りに行くだけのお手伝いっていうのもあるんだよ」と教えてもらって、生活クラブの方の紹介もあって1999年に「むすび」に入会して、ここに関わるようになったんです。生協の仲間って、地域の活動や、食品に対する考え方など、すごく熱心に取り組んでいる人が多いんですね。その時はまだ介護保険ができる前で、どなたかのおうちに行って買い物のお手伝いや、家事などのお手伝いをしていたんです。2000年に介護保険が始まって、資格がないとダメだというのでその時にヘルパー2級の資格を取り、ヘルパーとして働くようになりました。2005年に介護福祉士の資格を取得して、それまでサービス提供責任者だった人が理事長に就任したので、翌年の2006年にサービス提供責任者となりました。
自分の居場所
「むすび」では訪問介護と居宅介護支援のふたつのサービスをやっていて、サービス提供責任者というのは、利用者さん、ヘルパーさん、ケアマネジャーさんを結ぶ、コーディネートの役割をする仕事なんですね。今は実働28人のヘルパーさんたちのスケジュールを管理したり、新規の方の契約に行ったり。うちのヘルパーさんたちは、よく事務所に来てくれるんですよ。来て、「あんなことがあった、こんなことがあった」と話してくれる。それがすごく大事で、私がここにずっといるっていうのにも通じるんですけれど、ここはアットホームで、働きやすい、自分の居場所があると感じられる職場なんですよ。ヘルパーさんにとっても来ていいのかな、という場所ではなくて、自由に来てお昼を食べたり、他愛もないことで笑ったり、その中で情報交換もできる。あるヘルパーさんが、利用者さんのところに行ってちょっと怒られた、っていう時も、他のメンバーが「そういう時はそのまま(家に)帰らないで話して」とか「こんな時はこういうふうに言ったら?」とかお互いにアドバイスをし合って、助け合える場所になっている。すごく居心地がいい所だなぁ、って思います。
利用者さんもね、お掃除ひとつにしても、その家のやり方がすごくあるんです。「こうやって欲しいのに」とかね。介護保険も、やってはいけないことの制約がいろいろあるんですよね。玄関の内側は掃除できて、外側はできないとか、「ここはできて、なんであそこはできないの?」って利用者さんも理解が難しいところなんですよね。施設だと利用者さんに来てもらって、職員はお互いに相談できたり、他の人のやり方を見ることができたり、複数の目があると思うんですけれど、訪問介護って利用者さんと一対一で、そこで判断するのってすごく難しいと思うんです。そういう時に、たとえ判断が間違っていても報告さえしてくれたら、事業所としても利用者さんに説明ができるし、ヘルパーさんひとりのせいになってしまうと、すごく辛いしね。
うちのケアの入り方は、ひとりの利用者さんにひとりでは入らないんですよ。必ずふたり以上で順番に入るというシステムにしていて、ヘルパーAさんの体調が悪かったり、何かあった時にも、ヘルパーBさんが同じようなケアができるように、見習いをしてふたり体制にします。一緒には入らないですけど、順番で入るという形を取っています。そうすると、利用者さんに対してふたりが話し合いを持てるんですよね。仕事の内容も「私はこうしてるけど、どうしてる?」みたいな。同じように歩調を合わせるということも、私は結構大事だと思うんですよね。すごく横の繋がりもできているし、いい環境だなと思います。
事務所での必要な事務仕事もありますが、私は今も現場の感覚を忘れたくない。現場のほうが好きなんです。やっぱり動いていたいというか、人と接していたいというか。役に立てているという実感ができるんですよね、きっと。やってあげているというのではなくてね、会話だけでも、来た時より利用者さんがちょっと元気になったかな、って。そういう小さな幸せを感じるのがやりがいですね。
心の中で合掌
大きな病院で看護婦長をしていた女性のケアに入った時のことなんですけれど、看護職としてのアドバイスというか、医療や看護に関する話なども聞けて、すごく勉強になっていたんですね。私たちヘルパーを叱咤激励して育ててくださったような方でした。身体があまり強くなくて、頑張って欲しいなと思っていたんですけど、思いがけずお亡くなりになられた。今も、その家の前を通るんですよね、時々ね。いつも心の中で合掌しながら「頑張る!」とか思って。
そういう別れを経験すると、やっぱり死に直面している、命に関わるような仕事なんだなと思うんですよね。医療的なケアも任せっ放しじゃなくて、いろいろな病気の方もいるので、その理解を深めないと。高齢者ならではの病気とか、そういうケアに当たる時に何も知らないじゃダメだなと思って、今、うちでは、医療的な研修もやるんですよ、介護職だって専門職。もうちょっと勉強しようよ、って。病院の先生など、来ていただける方に来ていただいて。そして、今までは自分がやることが精一杯だったんですけれど、これからは人を育てていく楽しみを感じながら、間口を広げて、いい環境で介護の人材が増えるような活動をしていけたらと思っています。
インタビュー感想
地域に必要な仕組みを作り、全員が運営に参加し、雇われない働き方をする「ワーカーズ・コレクティブ」。生協の主婦たちが立ち上げた「むすび」は練馬区光が丘を拠点とし、地域の中で、自分らしく安心して暮らし続けるために、さまざまなたすけあいの文化を築いています。北川さんは、サービス提供責任者という立場から介護保険の細やかな制度や、現場ならではの貴重な話を聞かせてくれました。穏やかな口調の通り、ヘルパーさんや利用者さんを見守る眼差しがあたたかでした。
- 【久田恵の眼】
- 地域の中のすぐご近所に、NPO[むすび]のような「高齢者の介護の拠点」があったらいいですね。ヘルパーさんが訪問してくれたり、支援してくれたら、自宅に一人で安心して住み続けられます。目下、一人暮らしの高齢者が増えていますが、有料老人ホームなどの施設入居は高額。でも、「家族に介護の苦労はさせたくない」と悩む方たちが多いです。自宅に居続けたいのにあきらめて施設へ、という方も少なくありません。地域の介護問題は、「地域のみんなで対応しよう」という試みの一つとして、「むすび」のような拠点がたくさんできたら、みんなの幸福と安心につながると思います。 至るところに「介護拠点の創出」、これは日本の課題ですね。