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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第4回 舞台俳優から介護ヘルパーを経てケアマネへ 
芝居も、介護も、一緒につくり上げるアンサンブルです

西村郁子さん(51歳)
地域包括支援センター 介護支援専門員(三重・大台町)

取材:進藤美恵子

声優を夢見て

 私が中高生の頃はテレビアニメの全盛期でした。アニメを見るのが楽しみで、『宇宙戦艦ヤマト』を見て、「声優になりたい」という強い希望を胸に、卒業と同時に上京し、アナウンス専門学校の声優専科で学んだ後に劇団に在籍。そこでは、あるアメリカ人の女流演出家との衝撃的な出会いがありました。

 彼女からは、「自然な芝居(自然に見える演技)」をするためのイロハを教えてもらいました。キャラクターとして自由に動ける身体を作るアスリート並みの筋肉トレーニング、台本の読み方、役づくりのやり方…。次第に芝居のおもしろさにのめり込み、気づくと上京から早18年、30代後半に。このまま役者を続けるのかどうか考えるようになり、ふと思ったのは夢を追い続ける私を支えてくれた両親のこと。

田舎へ帰ろう

 田舎へ戻ることも念頭においてハローワークに行きました。折しも介護保険制度が始まった頃で「介護ヘルパー募集」のポスターが目に入りました。迷わず職業訓練学校に3か月間通ってヘルパーの資格を取得。「東京で芝居をしないなら田舎に帰ろう」と決意し、短期入所施設での私の介護職がスタートしました。

 福祉の仕事への夢と希望を持って働きました。けれども日々の業務に追われながら30人くらいの方々を一度にまとめてみる仕事のやり方に次第に疑問を感じました。そこで3年間の実務経験を積んだことで介護福祉士の受験資格を経て、挑戦してみたら合格することができました。

芝居で培ったものが活かされる

 かつてアメリカ人演出家が諭してくれた「自分が大変な時こそ、相手のためにエネルギーを出しなさい」という言葉。介護も芝居と同様に、「一方的に何かをしてあげるのではなく、お互いの相乗効果で一緒にいい方向を見つけていくアンサンブルなんだ!」という思いから、相手とキチンと向き合える場としてグループホームに転職しました。そこでは芝居で培ったものが自然と活かされるようになったのです。

 「あんたの話す言葉はすごくわかりやすいな」とよく言われます。相手に伝わるように話すのは台詞のときも一緒。話が伝わると、コミュニケーションも取りやすくなります。相手の言いたいことは何か、その人がどんな人生を歩んできたのか、人に興味を持つのは役づくりと同じこと。

 芝居づくりは演出家、照明さん、音響さん、衣裳さん、小道具さん、大道具さん、そして役者たち…、それぞれが自分の仕事を最大限に行い、お互いの相乗効果でよりよい作品を一緒につくり上げていくアンサンブルです。介護の現場もきっと同じではないでしょうか。

 役者経験のある人は、介護の仕事は絶対にいい。認知症の方や人生経験豊富な人たちを相手にしていると、時にはカチンとくることも。でもそんな時は、役をつくって接することで直接的に相手とぶつかるわけではなくなり、意外と面白い世界が広がります。例えば、着替えを嫌がるような時にはその方の孫の役になってみるとか。それにはその方の今までの人生に興味を持って、いろいろ知っておく必要はありますけど。アプローチの手段として普段自然に取り組んでいます。

 これまでに福祉との関わりがなかったわけではありません。親戚にダウン症の子がいたのです。いわゆる「健常」と「障害」とを分けるとするなら、ハンディキャップを持った人が身近にいたことも、介護の道に進む後押しになったのかも知れないですね。

 ハローワークで見たポスターから介護職への転機となりましたが、単なる介護の世界だけに終わらずに、役者の経験を活かしてもっともっと拡げていきたい。そうすることで、私がこの仕事に携わる意味があるのかなと思います。

職場結婚

 もう一つの転機と言えば、介護の現場で知り合って職場結婚したこと。あのまま東京にいたら今も独身だったかも知れません。介護の仕事をする男の人は優しい人が多いです。いい出会いもあると思いますよ(笑)。

池袋ル・ピリエでの舞台

インタビュー感想

 「コミュニケーション」「お互いに」「アンサンブル」という言葉が何度も飛び出すなど、常にコミュニケーションを大切にして向き合おうとする姿が印象的でした。そんな西村さんのさらなる夢は、高齢者の居場所となるサロンをつくること。サロンでは芝居のレッスンを通じて元気な高齢者を増やし、劇団を旗揚げして全国公演に行きたいそうです。

【久田恵の眼】
「自分が大変な時こそ、相手のためにエネルギーを出しなさい」
 素晴らしい、サジェッションですね。
 多様な人と直接向き合うのが介護の現場。マニュアル通りにはいかない世界です。そういう場では、自分を支える哲学が必要です。しかも、それを自ら作り出していく必要があります。「介護の世界って、深いよねえ」とよく言われるのは、そういうことなのだろうと思います。役者体験で培ったものを生かして、自分なりの介護哲学を現場から創出していった西村さんは、すごいです。今後の活躍を期待したいです。