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ケアで疲れたあなたに|私はミューズとゼウスのケアラーです!

 激しいスピードで高齢化が進む隣国で、ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。

 そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。

【新連載:vol.0】プロローグ:ケアで疲れたあなたに   ――イ・ウンジュ

 私は長い間、家族の世話をしてきました。病気の弟の子供たちと病気の母親の介護をするのに忙しかった。自分の面倒を見て、家族の面倒を見て、ついに他人の面倒を見る過程を記録することで、人生の峠を越えることができました。

 著作『東京因縁』と『こんなに泣いて疲れたでしょう』、そして『私は神々の療養保護士です』はそのようにして生まれたのです。ケアの過程をまとめた三部作を最後に、私はケアについて十分に書き切ったと感じました。しかしその後、私の人生は変わりました。特に『私は神々の療養保護士です』を通じて多様な経験をすることができました。

 家と仕事場を行き来すること以外に、長距離旅行なんて夢にも思わなかった私に、汽車の往復チケットと共に講演依頼が入ってくるようになりました。おかげで水原(ス・ウォン)にも、智異山(チ・リ・サン)にも、大田(テ・ジョン)にも行くことができました。家族の介護で喪失の痛みを抱えた方に会い、市民運動で福祉の質を高めようと努力する活動家の方にも会い、療養保護士という職業を大切に愛し、誠実に一日一日を生きていく方々にも出会いました。

 私たちの社会は、「家族の介護」の難しさについて沈黙をしています。家族の介護を「私的領域」として認識し、放置しているのが現実です。親の介護によって仕事のキャリアが途絶えたり、独身の子供が親の介護を一人で抱え込んだりする場合が多く、一人っ子は特に自由になれません。これ以上、親の介護を個人の努力や献身だけに依存するのではなく、私たち皆の問題として受け入れなければならない必要性を感じています。
 また、療養院では、療養保護士として勤めながら、社会的な偏見や処遇問題とも直面しなければなりませんでした。療養院で良いケアを可能にするためには社会の努力も必要ではないでしょうか。

 情緒的なケアが最も必要な高齢者への適切な介護の方法を知らず、むしろ家族と不和になる場合も多いです。職場に頻繁に親から電話がかかり、同じ言葉を繰り返し耳にする時、それを親の異常信号と捉えるのはそう容易ではないでしょう。いや、たとえおかしいと思っても手をこまねいて、すぐに対応することはできないはずです。そして、過ぎ去った後に、それが両親の介護の「ゴールデンタイム」だったのだと気付きます。

 私は自分が世話をするお年寄りを「ミューズ」と「ゼウス」と呼んでいます。その理由は懸命に人生を生き抜き、いざ生と死の境にさしかかった彼らを神々に置き換えることで、自分が行うケアが、より優しく、礼儀正しくなることを願っているからです。

 ――この連載を読んでくださる療養保護士のたまごの方は、ぜひこの心構えを学び、涙と鼻水を隠す練習をしておいてください。また、介護施設管理者や政策担当者は、介護職員の劣悪な待遇について考えていただければさいわいです。
 そして、この連載を読んでくださる「誰かの子ども」の皆さんは、どうか罪悪感から解放されて、一度でも多くご両親の元へ行かれることを願っています。お年寄りの方であれば、神々のケアラーのような療養保護士に出会えることを願っています。
 最後に、この文章を読んでくださる介護者の皆さんへ、このエッセイを読んでしばらく心が温かくなっていただければさいわいです。(『私は神々の療養保護士です』より)

著者紹介

イ・ウンジュ 이은주

1969年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口31番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、認知症で苦しんでいる母親の世話をしながら、翻訳、執筆活動と共にメディア出演、講演活動を続けている。