メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

マンガでわかる 介護のキーワード

梅澤 誠 (うめざわ まこと)

介護の常識は世間の非常識といわれることがありますが、介護現場で語られる言葉に違和感を覚える人もいるようです。
この連載では、こうした「介護の常識」をマンガで考えていきます。

プロフィール梅熊 大介 (うめくま だいすけ)

1980年生まれ、群馬県出身。
東京で漫画家アシスタントをしながら雑誌、ウェブにて作品を発表。2009年第6回マンサン漫画大賞(実業之日本社主催)佳作受賞。デジタルマンガ・コンテスト2012(デジタルマンガ協会主催)優秀賞受賞。9年間のアシスタント修業の後、32歳で介護職員となり、以後介護を中心とした企業広報マンガを執筆。2015年現在、所属する大起エンゼルヘルプのホームページに新規採用者向け介護マンガを連載。著書に『マンガ ボクは介護職員一年生』(宝島社、2015年)がある。

第4回 忘れないための唯一の方法

 このコラムでは主に時事問題を話題にしています。ですから、ちょっと時間が経つと「ああ、そんなこと、あったね」という感じになってしまうかもしれません。どんな大騒ぎでも、いわゆる「風化」しますので。

 三月十一日は何の日だったでしょうか?「サンテンイチイチ」と言われないと思い出せない人が、すでにあるようです。風化させてはいけないことなので、あえて「時事問題」として取り上げたいと思います。

 5年前の3月11日、東日本大震災が発生しました。
 当日の地震はもとより数日うちつづいた大きな余震、原発事故。ニュースは知らない言葉で埋め尽くされました。「制御棒」「メルトダウン」「●●シーベルト」「輪番停電」…。私は東京に居ましたが、翌日には水も電池もカセットコンロのガスも軒並み売り切れ。どこもかしこも照明を半分に落とし、町全体が薄暗くなっていました。コンビニの棚に空きがあるのを、はじめて見ました。
 ゾッとしたのは、「納豆」がどこにもなくなっていたことです。どの店に聞いても「東北から仕入れができなくて…」。大問題になっていた原発事故の影で、東京はその他どれほどのものを地方に依存していたのか。つくづく知らされました。1か月半ほどで納豆が店頭に並び始めたとき、初めて「日常」が戻りかけた気がしました。

 それから3年後。介護職員として「各施設の防災準備をインタビューし、長所や問題点を考える」研修がありました。さまざまな工夫を見ました。断水に備え夜間、常にお風呂に水を張っておく施設。非常用食料をたまに普段の食事にも使い、味に慣れるようにしている施設。自治体から依頼され、震災時には避難所として機能できる施設。常に見えるところに懐中電灯を置く施設。ヘルメットの「受け渡し方」まで練習している施設もありました。
 施設訪問インタビューの後、内容を研修参加者が発表します。
 私は「さすが介護施設、ずいぶん工夫するもんだ」と感心しながら聞いていたのですが…。

 「まだまだ甘い!」という意見がバシバシ飛び出しました。例えば懐中電灯では、「夜間停電したら、懐中電灯自体が見えないじゃないか」「その置き方では、地震で転がって落ちるぞ」「最悪、手探りでもわかるようにしないと」「そもそも懐中電灯では片手がふさがって、支援にならない。ヘッドライトを用意したほうがいい」などなど…。

 思えば、確かにそうです。5年前のあの日、最初の地震。大の大人が立っていられないほどの振動。ほうほうのていで外の広場に避難したら、目の前の立体駐車場で車が「バウンド」しており、「ガシャーン、ゲシャーン!」と聞いたこともない音を立てていたあの揺れ。あれを思い、あれを前提に考えなければいけなかったのです。あの時片手がふさがっていたら…?ちょっとやそっとの工夫では工夫ごと床に落ち、割れて砕けて散ってしまう。
 (風化してるんだ、自分の中で)と強く思い知らされた研修でした。

 その研修の同じ年に、御嶽山が噴火しました。広島では大規模土砂災害がありました。次の年に口永良部島の新岳が噴火しました。それぞれ、何年の何月だったか、どれほどの被害が出たか、覚えている人がどれだけあるでしょうか。すでに「消費」されたニュースになっているような気がします。私もマンガに描いたから覚えているだけで、ニュースを見ただけでは忘れてしまったでしょう。喉元過ぎれば熱さ忘れる、のことわざどおりです。

 今挙げた3つのニュースの中で、異彩を放つのが「口永良部島の新岳噴火」です。この事例、噴火による直接の犠牲者はゼロ。午前10時に噴火して、その日の夕方前には島民137名全員がフェリーで屋久島に避難しています。飼い犬までヘリで救出するという、驚くべき早さ、手際の良さです。口永良部島のポータルサイトを見ると、島民の方々がいかに普段から噴火を警戒していたか、想定して生活していたかが伝わってきます。そこには「喉元…」の油断はありません。

 犠牲者が少なかったからか、「新岳噴火」の続報はテレビでは1週間も続きませんでした。しかしこういった成功例こそ、もっともっと知らせるべきではないかと思います。「危険を意識していれば、ここまでできるんだ」と伝え、広めてほしいと願います。

 言うまでもなく介護職員は日々事故防止に努め、事故があれば事例検討し、「危険予知」をします。ですが自分のことを振り返ると、しばらく気をつけるのですがどうしても馴れてしまい、油断が生まれてきます。そしてまたぞろ似たような失敗をしでかす。ヒヤリ、ハットしてから「バカ、あの時あんなに怖かったのを忘れたのか」と臍(ほぞ)を噛む。どうもこの繰り返しだったように思えてなりません。いえ、今でもそうです。

 だからこそ何度でも思い出す必要があると思います、しつこいほど。そうしないと必ず風化してしまうから。多くの方が亡くなり、自分も「死ぬかと思った」くせに、すぐ忘れてしまうのが私ですから。忘れないための唯一の方法は「何度でも思い出す」これに尽きます。『たったひとつの冴えたやり方』ですね。

 3月11日をその機会にしたいと思います。
 …そして、私を含む忘れっぽい方。11月5日にもう一度思い出しましょう。この日は5年前の6月に制定された「津波防災の日」です。