福祉の現場で思いをカタチに
~私が起業した理由 ・トライした理由 ~
介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。
●インタビュー大募集
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- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第50回①
一般社団法人 sukasuka-ippo(すかすかいっぽ) 代表理事 五本木 愛さん
なかなか受け止められなかった娘の障害。
受容して娘の未来と向き合うまで。
一般社団法人 sukasuka-ippo(すかすかいっぽ)
代表理事 五本木 愛さん
横須賀市生まれ。6人目に生まれた娘に障害があり、幼稚園の保護者会で発行した情報紙がきっかけとなって、2016年4月、横須賀のバリアフリー子育て情報サイトを開設。2017年に法人化。横須賀商工会議所と提携して地域の在宅ワーク活性化を目指す「よこすかテレワーク」、障害のある子とない子が一緒に過ごせる場所「インクルーシブ学童sukasuka-kids(すかすかきっず)」など、久里浜商店街内で5事業を展開中。
取材・文 原口美香
―五本木さんはお子さんの障害によって事業を始められたそうですが、その辺りから教えてください。
私には子どもが6人おりまして、一番下の小学校6年生になる娘が「アンジェルマン症候群」という遺伝子疾患の障害を持って生まれました。アンジェルマンという障害は大体15,000人に一人という割合で、それまで私も聞いたことがありませんでした。6人目の子育てでしたからさほど不安もなく、育ちがゆっくりだなと感じていましたが、とにかくかわいくてしかたなくて。
1歳くらいになった時に、その頃にできるであろう手遊びができない、斜視が強くて視線を合わせることができない、歩く気配が全くないなど、さすがにちょっとおかしいなと近所の小児科を受診しました。すると県立医療センターに行くように言われ、そこからは検査づくめになりました。娘に障害がある、だけどなんの障害か分からないという時期は私が生きていた中で一番きつい時間だったと思います。
ある時、病院での診察中に「アンジェルマンかな~? でもな~」と遺伝子科の先生がつぶやいたんです。私はその一言が妙に残って家に帰ってから「アンジェルマン症候群」というものをものすごく調べました。その症状はほぼ娘と一致していたのです。それでアンジェルマンの検査をしてもらうことにしました。それは5タイプもあってなかなか診断はつかず、「アンジェルマン症候群」と確定されたのは娘が2歳になる少し前のことでした。
この障害は母方の染色体異常ということもはっきり分かったので、毎朝主人や上の子どもたちを送り出した後、大人になってこんなに嗚咽することがあるのかというくらい自分を責めて泣きました。そうすると娘はいざりで近くにやってきて、ニコニコと顔を覗き込んだり、涙を不思議そうに触ったり。ニコニコするのはアンジェルマンの特徴でもあるのですが、次第に私はこの子は本当にかわいそうなのかな、と思い始めたのです。障害があるからかわいそうだとか不幸だとか、私が勝手に思っているだけなんじゃないか。障害があるからとマイナスなことを考えてダメだと思っているのは私で、私が障害に対して差別や偏見があるからだということを娘に気付かされたのです。この子は不幸でもないし、この子なりの生き方があって幸せな人生を送れるはずだと思えてきました。泣いている場合じゃない、私にはやるべきことがあるのだということ感じるようになりました。この子が少しでも歩きやすい状況をつくってあげなければと。
それからは療育をはじめいろいろなことに取り組んでいきました。アンジェルマンは発語がないので、言葉以外でどうコミュニケーションを取っていけばいいのか、聾学校のベビー教室を紹介してもらったり、マカトンサインを学んだり。障害児を育てている多くの親が向き合うことになる、親亡き後娘がどう生きていくのか、どう生きていってほしいのかも考え始めました。
幼稚園に通う歳になり「ひまわり園」という障害児が通う幼稚園に入園が決まっていたのですが、週に1日でもいいから地域の幼稚園にも通わせてやりたい、上の子たちと同じように遠足も運動会もお泊り会もプールもできる範囲でいいから経験させてあげたいという気持ちもあって、上の子たちが通った幼稚園に相談に行ったのです。園長先生、理事長先生は本当に理解のある方々で、「もうそんなに悩まなくていいから一緒に育てていこうね。週に何回来ても構わないよ」と言ってくださって。ボロボロ泣けてきましたね。娘は並行通園という形で2つの幼稚園に通い、3年間を過ごしました。
「ひまわり園」は親子通園だったので、初めて他の障害児やそのお母さんと触れ合い、こういう子育てをしているのは私だけじゃないんだと勇気をもらいました。私は保護者会の会長を2年やらせてもらったのですが、「ひまわり園」は横須賀市の指定管理になっていて、幼稚園世代の障害児の保護者代表という形で福祉の会議に参加することがありました。今の福祉サービスのこと、放課後等デイサービスのこと、当時私たちが知りたかった情報がそこで繰り広げられていることに驚いたのです。その情報が当事者である私たちのところに降りてこないことに疑問も感じました。私たちは自分の子どもがこれから先、どういう将来に向かっていくのか全然分からなくて、分からないことが不安でした。知った情報は、保護者会の役員のメンバーだけで共有するよりも、「ひまわり園」のお母さんたちに伝えた方がいいと保護者会から「ひまわり通信」という情報紙を発行することにしたのです。これが保護者間の中ですごく話題になって、たくさんの方に「こういう情報がほしかった」と言っていただいて。半面、「五本木さんたちが卒園したら、誰がやってくれるんだろう?」と。当時の役員のメンバーと、紙ベースで発行するのも大事だけれど「ひまわり園」の保護者だけじゃなくて、もっといろいろな障害の子を抱える家庭に届けた方がいいのではないかと話をしたんです。
2016年の4月に横須賀のバリアフリー子育て情報サイト「sukasuka-ippo(すかすかいっぽ)」を立ち上げて情報発信を始め、とにかく自分たちの知りたいこと、分からないことを中心に取材に行き紹介記事をアップしていきました。
―どんなところに取材にいかれたのですか?
例えば、障害を持った子が小学校にあがると放課後等デイサービスを使うというけれど、それはどんなサービスで、横須賀にはいったいどれくらいの数があるのか。そこはどんな特徴があるのか。障害のある人が横須賀で働くといった場合、どんなところなのだろうか。短期入所ってどこでやっているのだろうと、様々な施設や事業所を取材させていただきました。子育てと家事の時間以外をそこに費やして月に2、3件アップするのは結構ハードなことでしたが、ありがたいことに閲覧数もどんどん伸びてたくさん方に見ていただけるようになり、取材をしていく中で横須賀の福祉関係の方々との繋がりもできてきました。
―たくさんの方が必要としていた情報を発信していかれたのですね。
次回は事業展開をスタートされたところからお話いただきます。
2018年4月にオープンした「インクルーシブ学童」で、
障害のある子もない子も一緒に過ごす。
子どもだからこそ分かることがある。