福祉の現場で思いをカタチに
~私が起業した理由 ・トライした理由 ~
志をもってチャレンジを続ける方々を、毎月全4回にわたって紹介します!
【毎週木曜日更新】
第30回➀ 友岡 宏江 定非営利活動法人Ohana kids理事長
重度の障がいを抱える娘の子育て経験が、
NPO法人立ち上げの原動力に
特定非営利活動法人Ohana kids理事長
友岡 宏江(ともおか ひろえ)
1980年生まれ。
13トリソミー染色体異常で、重度の障がいのある長女を子育てするなかで、多くの社会的障壁を経験し、障がいのある子どもたちが、社会とつながる第一歩となる居場所づくりを決意。仕事と子育ての合間に管理者、保育士資格を取得し、2016年に特定非営利活動法人Ohana kids設立した。現在は世田谷区若林で重症児・医療的ケア児向けのデイサービス・放課後デイサービス「Ohana kids station デイサービス」を運営。2021年春には、千歳船橋に2つ目のデイサービス「Ohana kids ナーサリー」を開設予定。
取材・文:毛利マスミ
──特定非営利活動法人(以下NPO法人)Ohana kidsを立ち上げた理由を教えてください。
長女の壽音(じゅの)が、医療的ケアが必要な13トリソミー染色体異常であることが直接のきっかけになりました。13トリソミーとは、約1万人に1人生まれるとされ、1年以上の生存率は10%未満とされる重度の障がいのある症候群です。
娘は妊娠中に心臓の欠陥が見つかりました。ドクターからは「生まれるかどうかは、この子の生命力しだい」とさえ言われていました。生後は手術を受けるなど、新生児室入院は10ヶ月にも及びました。
私は妊娠中から、シングルマザーで育てることを決めていました。また、当時は仕事で海外に暮らしていて、妊娠・出産を機に帰国を決めてはいたのですが、東京に拠点はなく、仕事も新たに探さなくてはなりませんでした。
実家のある九州で暮らすことも考えましたが、やはり田舎なので、娘のような重い疾患を持った子どもを育てる環境は整っておらず、東京で一般的な社会資源を使いながら生活するのが、一番メリットが大きいだろうということで、東京に暮らすことを決めました。
病院では、24時間体制で看護師さんに看ていただいていましたが、いざ娘が退院すると、私一人の背中に命と生活のすべてがのしかかってくる。育児も初めてというプレッシャーのなか、医療のプロでもない私がデリケートな娘の体調管理を行い、さらに経済的な余裕もない中で、あっという間に困難な状況に追い込まれていったんです。
区役所や児童相談所、病院のソーシャルワーカーなど、あらゆるところに助けを求めたのですが、その時に感じたのは、私たちは普通に生活したいだけなのに、なぜこんなに苦労するんだろう。それは、この子に障がいがあるから、医療的ケア児だからではないのか。「普通の子育て」だったら、もう少しスムーズに色々なことができたんじゃないか――という思いでした。
当時は私自身、まったく子育てが楽しめませんでした。
こうした経験から、どんな障がいがある子であっても「普通に楽しめる子育てをしたい」と思ったのがOhana kidsを立ち上げた理由です。
──ただでさえ子育てが困難ななか、自らNPO法人を立ち上げるのは、相当な覚悟と努力が必要だったと思います。さらなる労苦を背負ってでも、やり遂げたいと思ったのはなぜでしょうか。
「反骨精神」しかありません。私たち親子は、社会に存在していいのか。なんでこんなに拒否されるんだろうって、いつも思っていましたし、それで自暴自棄になった時期もありました。
私はシングルマザーですし、仕事をしなくてはならなかったのですが、「保育園に入れたい」と相談に行っても、行政はけんもほろろだったんです。「集団保育は無理」「なんでお母さんはそこまでして働きたいんですか」と、暗に「障がいを持った子を生んだんだから、自分で見るのが当然」と言わんばかりの態度でした。
たしかに酸素ボンベやモニターを持って、子どもにはチューブもついている親子が来たら、一般ではどう対応していいのかわからないのでしょう。社会から隔絶されていると感じていました。
でも、そうした状況のなかでも協力してくださる方との出会いや、子どもにとって何が大切かを考えるなかで、遊びや友だちと一緒に過ごす環境、家族から離れている時間はかけがいのないものだと感じ、「私もご家族の力になりたい」「重症児や医療的ケア児のためのデイサービスを作りたい」と考えるようになりました。
また、当時は今ほど障害者が通える通所施設がなかったこともあります。娘が初めて通った通所施設は板橋で、それも1回に90分間だけでした。行き帰りの吸引等のケアで立ち止まる時間も考慮すると往復4時間、母子一緒に通うのが条件で、こんなに苦労して通っても90分しか療育を受けられませんでした。
子どもの成長は待ったなしです。成長に、「今」は今しかありません。実はちょうどその頃、世田谷区では区立の障害福祉・保健センターの構想が練られていた時期でしたが、完成は10年後ですよ、と。
それで、「今、困っている人たちに必要なことを提供しなければいけない」「今やらないと、すぐには変わらない」と痛感し、それならば「自分でやるしかない!」と決意したんです。
──ありがとうございました。次回は立ち上げの苦労や運営の実際についてお伺いします。
2021年元旦に撮影した幸せオーラあふれる写真は、今年11歳の誕生日を迎える娘の壽音さんとのツーショット。
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