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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
terada@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第24回④ 遠藤 礼一 特定非営利活動法人 ゆずりはコミュニケーションズ パソコン工房ゆずりは 施設長
ゆずりは」を目標を持って過ごせる場所にするために、
一つひとつ向き合っていきたい。

──今回の取材では2名の方にお話を伺いました。
前半の2回は理事である仲俣さん、後半の2回で施設長の遠藤さんをご紹介させていただきます。

特定非営利活動法人 ゆずりはコミュニケーションズ パソコン工房ゆずりは 施設長
遠藤 礼一(えんどう よしかず)
1974年生まれ。運送会社の事務の仕事をしていたが、会社が潰れてしまうというので転職を考えていた20代の終わりの頃、言語聴覚氏士だった父(遠藤尚志氏)の誘いを受けて、福祉や障害のことは全く分からないまま「ゆずりは」の立ち上げから関わることになった。現在3 代目の施設長として8年目を迎えた。サービス管理責任者。


取材・文:原口美香


──前回は遠藤さんが「ゆずりは」に関わることになったきっかけなどをお話いただきました。
今回は現在の様子を中心にお伺いしていきます。

──現在は何名くらいの方が利用されているのでしょうか?

 現在の登録は19名です。週5でくる方もいれば週1回の方もいます。半年に一度というような方もいて、その方のペースで様々ですね。普段であれば平均して11名くらいの利用者さんがいるのですが、今はコロナの影響で一週間のうち一日だけにしてもらっているので、多くて5名しか来ないような状況です。一番若い方で40代半ば、年配の方ですと80代、平均年齢で56.3歳くらいですね。そのうち、女性の登録は4名だけなのです。この障害で失語症になられる方の男女比はほぼ半々と言われていますが、男性の方が圧倒的に多いんですね。
  うちは杉並区にある施設ですが、杉並区以外の場所から来る方も多いです。トータルで7つの自治体くらいから来ています。

──どんな方が通われてくるのでしょうか?

 病状も慢性期になられて、リハビリも同じことの繰り返しになったりして、次のステップへというようなときに来られる方が多いですね。いきなり働くのは無理だけれど、何かやりたいというような方。
 うちは特に利用者さんの募集というのはしていないのですが、定期的に問い合わせをいただきます。病院からの紹介だったり、杉並区の障害者会館からの情報だったり、自力で調べて通って来てくれた方もいますね。例えば知的障害などの方は、支援学校を出る時に次の施設を紹介するという流れが出来ていますけれど、中途障害の方だと流れが決まっていないので自分で調べるしかないようなところもあるんです。ケアマネさんは介護系のことが中心なので、障害福祉について知らない方も意外と多いです。
 「ゆずりは」のスタッフは常勤が2名、アルバイトが5名です。今僕は皆さんの間に入って作業もしたり、何でも屋というような感じですね。周りの状況も知らないといけないので、施設長会議もマメに出席して情報を集めたりもしています。
 「ゆずりは」を17年やってみて、失語症の方の行く場所というものが本当にないんだなと感じました。ここに来た方が目標を持って過ごせる場所になれればと思っています。「ここに来れば稼げる」、または次のステップアップとして「『ゆずりは』は役に立ったなぁ」と思われるような施設になれれば。まだまだこれからなので、課題は多いのですが一つ一つ向き合っていければと思っています。

──ありがとうございました。

「失語症者のつどいイン首都圏」での様子
全国から300人~400人の人々が集まった


イベント会場での物販コーナー
思いが詰まった作品を売る


【インタビューを終えて】
「失語症というのは脳の疾患です」という仲俣さんの言葉にハッとしました。知っているつもりでいたことも、正確に知ることがとても重要だと改めて感じました。取材当日、これまで開発されてきた製品を仲俣さんと遠藤さんのお二人がひとつずつ丁寧に説明してくださいました。帰りには仲俣さんの息子さんが手掛けたという花のカレンダーをいただきました。障害を持っていたとしても自立して生活できる。そんな希望のある未来を信じたいと思います。

【久田恵の視点】
私の母も64歳で脳血栓に倒れて右半身麻痺と失語症に陥り、車椅子の生活になりました。当時、言語治療の専門家は少なく、医師から「あなたがリハビリをなさい」と言われました。失語症は不思議で難しい世界でしたが、毎日、母に左手で日記をつけてもらいました。日記が次第に意味を持ってきて、ものを言えない母の気持ちを理解できるようになるのが喜びでした。母と共に失語症と闘った十二年半の介護の日々は、私の人生にかけがえのないものを残しました。「ゆずりは」の活動に心からの敬意を表します。