福祉の現場で思いをカタチに
~私が起業した理由 ・トライした理由 ~
介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。
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- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第8回① 川内 潤 となりのかいご代表理事
家族介護で虐待の現場を目の当たりにして──
一生懸命さゆえに、虐待してしまうプロセスを断ち切りたい
となりのかいご代表理事
川内 潤
1980年生まれ
上智大学社会福祉学科卒。老人ホーム紹介事業、外資系コンサル会社、在宅・施設介護職員を経て、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。2014年に「となりのかいご」をNPO法人化、代表理事に就任。ミッションは「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ虐待してしまうプロセスを断ち切る」こと。誰もが自然に家族の介護に向かうことができる社会の実現を目指し日々奮闘中。
取材・文:石川未紀
──大学では社会福祉を学んでいたそうですね。
高校生の時は、器械体操に夢中で、将来は、コーチか、体育の先生になりたいと思っていました。ところが、高校二年生のとき、練習中にけがをして、一か月ほど車いす生活を余儀なくされました。それまで日本は先進国で福祉も進んでいると思い込んでいたのですが、これが不便の連続でした。階段やエスカレータに乗れないし、トイレも自分が行きたいときに行けない。
当時、高校生だった私は、熱かったのでしょうね。日本の福祉はもっといい方向に変わっていくべきだ、と思ったのです。
──それで、社会福祉学科を目指そうとされたのですか?
実は、当時父は介護業を始めていたんです。けれども、自分にとって介護は遠い世界でした。ただ、けがをきっかけに少し興味がわいてきて、父が愛読していた上智大学の先生の本を私も読んで感銘を受け、この先生のもとで学びたい! と、上智大学文学部社会福祉学科(当時)に入学しました。大学での勉強だけでなく、障害を持った子どもたちのボランティア活動にも精を出し、充実した学生生活を送っていたのですが、時代もあったのでしょう。福祉を仕事にするのはどうかな、もっとキラキラした世界で自分を試したいと思ったのです。それで有料老人ホームに就職が決まっていたにもかかわらず、インターンシップをしていたIT企業にそのまま就職。その二年後には、外資系のコンサルティング会社に転職しました。その当時は、工場閉鎖などにともなう解雇を通達する仕事もしていました。相手に解雇を伝えると「娘の受験がある…」「親の介護で大変だ…」などと、私に訴えてきます。そうしたもろもろの事情をみんな聞かないようにして、ひたすら承諾のサインを求めるわけです。そうすると上司からは褒められ、評価もあがっていきました。
一方で心の中で私が叫んでいます。
「いったい、私は何をやっているんだ!?」と。
「話している言葉だけでなく、そのバックグラウンドも含めて、想像力を持って関わりなさい」と大学で学んだことと、自分は真逆のことをしているではないか。解雇されたあの人は娘を進学させられなかったかもしれない。親を介護していた人は行き詰って生活保護になっているかもしれない。自分自身だって、キラキラした世界でお金を稼ぎたいと思っていたけれど、こんな忙しさの中ではそもそもお金を使う時間だってない! 自分がやりたいと思っていたことはこんなことだったのか、と。
そして、ある日、父親に土下座して頼みました。
「私に介護の仕事をさせてください」と。
──それで、お父様の会社に就職したんですね。
はい。はじめは、訪問入浴の仕事から始めました。三人一組で各家庭をまわりました。仕事そのものは楽しかったのですが、訪問先で、あるカルチャーショックを受けました。
虐待をしている家族を目の当たりにしたのです。それも稀有なケースではなく、かなりの頻度で…。そして、そこには「そうなっても仕方ないよな」と共感できる自分がいたのです。
家族介護は、多くが配偶者か、その子どもが担っています。もし親に介護が必要になったら、あなたならどうしますか?
幼いころに自分のおむつを替えてくれていた人が、今、介護が必要になって自分を頼っている。この状況に、普通の感覚なら自分が何とかしなくてはいけないと思いますよね。
虐待している家族は、みな愛情あふれているのです。だからこそ一生懸命になって行き詰って、そして、虐待をしてしまう。最初から鬼のような人なんていません。この虐待をしてしまうベクトルを何とかしなければいけない。知ってしまった人間としてこれは使命なんだ、と思い至ったのです。
そして、ひとりきりで、市民団体「となりのかいご」を立ち上げたのです。
すむ方法』の出版記念セミナーにて。