メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

志をもってチャレンジを続ける方々を、毎月全4回にわたって紹介します!

【毎週木曜日更新】

第7回① 園 吉洋 デイサービスセンターめぐみ(株式会社ライフパートナー)
25歳で起業。自分が納得のいくケアをするためには、
自分でやるしかない。

デイサービスセンターめぐみ(株式会社ライフパートナー)
園 吉洋(その よしひろ)
1982年生まれ
人間らしいあたりまえの生活を支えたい、よいケアを届けたいとの思いから2008年25歳で起業し、定員10人のデイサービス「デイサービスめぐみ」を開所。その後「デイサービスめぐみ東大町」、2015年には、有料老人ホーム「アルカディア」を開所した。今年12期目を迎える、株式会社ライフパートナーの代表取締役。現在はアンガーマネジメントやコーチングを学んだ経験を活かし、メンタルコーチとしてセミナー等でも活躍中。


取材・文:原口美香

──もともとは看護のお仕事をされていたようですが、介護のお仕事を始め起業するまでの経緯を教えてください。

 中学から陸上の長距離を始め、高校は推薦をもらって進学し、将来は学校の先生になろうと思っていました。家は山形県の酒田という秋田寄りのところですが、高校は米沢という福島寄りのところ。通うと3時間くらいかかってしまうんです。それで家を出て寮生活を始めました。高校を卒業する時、大学だけじゃなく実業団からもスカウトがあって、「そういう道もあるな」と陸上選手として実業団に入り、東京に住んで、オリンピックを目指し2年くらい走っていました。だけど、膝を壊したこともあり、戦力外通告を受けて辞めたんです。

 走っていた時は、自分のメンタルトレーニングもする中で、心理学や栄養学、身体の解剖生理学などを勉強していました。そこで身体のこと、メンテナンスに興味を持ったんです。それで引退後は看護の方へ進もうと、看護学校に社会人入学しました。准看護師の資格を取得しましたが、当時男性のナースはまだ珍しく、就職は精神病院か福祉施設くらいしかなかった。それで、特養老人ホームで働き始めました。言われたことを覚えてやる、という仕事は素直にできていた方だったと思います。だけど「これはこうしたい」「これはどうなの?」と思ってしまうことがあると、それをうやむやにしては働けなかったんです。自分が納得しないと。「おかしいだろ」っていうケアに対しても「上からの命令だから」「うちの方針だから」と言われたりして、納得できる理由がどこに行ってもなかったんですよね。どこに行ってもないんだったら、自分でやってみようか、と思ったのが最初のきっかけでした。

──それで25歳の時に起業されたのですね。

 今の自分から見たら無謀だなって思うんですけれど、その時は、次の職場を探そうっていう選択肢はなかったんです。これ以上、誰かを傷つけたり、人の言いなりになって我慢するのも嫌だった。だったら自分でやりたいことをやろう、なるべくお金をかけないよう、周りに迷惑をかけないよう、小さくって。

 うちの両親も会社経営をしているので、会社をつくること自体に対しては何も言いませんでした。「会社をつくろうと思うんだけど、全然分からないから教えて」と聞いたら、父親がやり取りする税理士事務所の連絡先を教えてくれて。そこに行ってみたら「『事業計画書』って分かる?」って言われて。「銀行からお金を借りないと園くんの事業はできないから、『事業計画書』をつくりなさい」と。そこから自分で調べて、三年くらいの事業計画書を作りました。ちょうどリーマンショックで、地方銀行も渋りながら、それでも介護事業は将来性のある事業だということで、GOサインが出て、1,000万円くらいだったんですけれど借りることができたのです。2008年3月、株式会社ライフパートナーを立ち上げ、定員10名の「デイサービスめぐみ」を開所しました。

──ありがとうございました。
  次回は、実際に起業してからのことについて伺っていきます。

デイサービスめぐみ
思い思いに過ごす、かけがえのない一日

●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃいましたら、terada@chuohoki.co.jp までご連絡ください。折り返し連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ
100歳時代の新しい介護哲学

「ファンタスティック・プロデューサー」で、ノンフィクション作家の久田恵が立ち上げた企画・編集グループが、全国で取材を進めていきます

本サイト : 介護職に就いた私の理由(わけ)が一冊の本になりました。

花げし舎編著「人生100年時代の新しい介護哲学:介護を仕事にした100人の理由」現代書館