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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第4回 ➀ 近藤 博子 気まぐれ八百屋 だんだん 店主
食と歯科と健康を繋げる仕事をしたいという思いが
私の原動力

気まぐれ八百屋 だんだん 店主
近藤 博子(こんどう ひろこ)
1959年生まれ
歯科衛生士のかたわら、有機野菜や自然食品を扱う八百屋「気まぐれ八百屋 だんだん」を営む。2012年より全国に先駆けて、子どもがひとりでも安心して食べに来られる「こども食堂」を始めた。第47回、社会貢献者表彰(人々や社会のためにつくされた方に贈られる)を受賞。

            
  • 気まぐれ八百屋 だんだん
    東京都大田区東矢口1-17-9
    (東急池上線 蓮沼駅より徒歩2分)
    

取材・文:原口美香


──歯科衛生士のお仕事から八百屋さんを始めた経緯を教えてください。

 今でも歯科衛生士は続けているのです。
 私は島根の出身なんですけれど、進路をどうしようかなと思っていた高校生の時、後輩のお父さんから、東京の歯医者さんが、住み込みで歯科衛生士になる子を探しているっていう話をいただいて。それで実際に東京に見に行き、なかなかおもしろい仕事だなと、東京に出てきたんです。

 お手伝いをしながら2年間、昼間は、東京医科歯科大学の付属の歯科衛生士学校に通わせてもらって、資格を取ることができました。その後2年勤め、いったんは島根に戻りましたが、25歳の時に結婚し、また東京へ。何年かアルバイトをした後、新聞社の診療室に入り、20年くらい勤めました。ずっと「食と歯科と健康を繋げる仕事をしたい」という思いがあったので、45歳の時、常勤をやめてパートに切り替えたんです。それで自然食品のお店をやっていた知人を手伝ったり、保健所でアルバイトをしたりしていました。
 そうしたところに、別のところから、週末だけ野菜の配達をやらないか? というお話をいただいて。仕入れ先もお客さんも紹介するから、と。お金も経験もないけれど、週末だけだったらなんとかなるかなと、引き受けてしまったのがきっかけなんですよね。
 当時は益子から朝採りの野菜を運んでもらっていました。泥がついた新鮮な野菜を配達前に仕分けしていたら、その様子を見た近所のおばあちゃんから分けてほしいと言われたのです。それで週末は大田区のあちこちに配達に出かけ、平日は不定期に、少しずつ販売もするようになりました。2008年の11月です。

──店舗の場所はどのように探したのですか?

 たまたまここの大家さんと知り合いで、もともとは居酒屋だったのですが、3年くらい閉店したままでした。床がタイル張りの場所があって、そこなら泥付きの野菜を仕分けするのにちょうどいい、と思って借りることにしたんです。
 開店はしたけれど、宣伝は全くしていませんでした。朝、お茶を入れて「おはようございます、お茶をどうぞ」と声をかけたりしていたんです。暖簾は出していましたので、「あそこで野菜を売っているんだ」という感じだったと思います。通りがかった人から「できるだけ開けておいた方がいいよ」なんてアドバイスもいただいたりもしました。本当に徐々に知られていったように思います。

 2009年に、私の高校生の娘が勉強に躓いたことがきっかけで、「ワンコイン寺子屋」を始めることになるんです。夏休みの間、知り合いが勉強をみてくれるとなった時に、うちの娘だけじゃもったいないと思って、買い物に来て下さるお母さんたちに、声をかけたら、何人か集まったんですよね。その中に中3で受験を控えている女の子もいて、夏休みだけじゃなく、9月からも続けてほしいということになって。子どもたちから頼まれたら、大人として何とか頑張らなきゃいけないね、と。その知り合いに相談したら、塾講師の経験のある60代の方なんですが、土曜なら時間が取れるということだったので、毎週土曜日の18時から20時まで、一時間500円で続けることにしたんです。普通の塾のようにテキストをどんどん進めていくのではなくて、ひとりひとりに合わせて、勉強の仕方から丁寧に教えていくというやり方にしたんです。意外と人は集まってきました。

 私は「ワンコイン寺子屋」でおやつを担当していました。八百屋なので、食材はたくさんあった訳です。安心安全の野菜を使った味噌汁やおやつを、子どもたちと一緒にワイワイガヤガヤ楽しく作るようにもなって、これはおもしろいなと、東京新聞の知り合いの記者さんに「取材に来てください」と頼んだのです。ちゃんと取材に来てくださって、その時、「ボランティア募集」というのもちょっと載せてくださった。記事が出たその日から問い合わせがあり、あっという間にボランティアが集まったのです。

 そうして子どもたちに関わっているうちに、大人たちの中から「自分たちも勉強したいね」という声が上がってきて、「大人の学び直し」が始まったんです。最初は英会話からやろうか、数学もやりたいねと。その流れで、「この場所使っていいの? 使いたいな」と相談に来る方もいて、「お灸カフェ」「三味線」などと教室も人も、どんどん増えていったのです。

──ありがとうございました。
  次回は、「こども食堂」のことについて伺っていきます。

気まぐれ八百屋 だんだん 店頭