福祉の現場で思いをカタチに
~私が起業した理由 ・トライした理由 ~
介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。
●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
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- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第2回 ➀ 澁谷浩崇 なかいた倶楽部総務
高齢化の課題に商店街が本気で取り組み
誕生した、商店街直営のデイサービス
なかいた倶楽部総務
澁谷浩崇(しぶや・ひろたか)
1972年東京生まれ。
「シャッター商店街」への懸念から、地元の商店街振興組合が地域の活性化を旗印に誕生した「商店街直営のデイサービス」なかいた倶楽部。地域の高齢化と商店街の活性化という2つの課題を命題に、なかいた倶楽部の2代目総務を務める。
- 中板橋商店街振興組合オフィシャルサイト なかいた.com
なかいた倶楽部
https://www.nakaita.com/shop/shop-0-20/
ー商店街直営のデイサービスを開いた理由を教えてください。
中板橋商店街振興組合が運営するデイサービス「なかいた倶楽部」は、2016年12月にオープンしました。残念ながら、このデイサービス設立に尽力した中板橋商店街振興組合の神林誠二副理事長は、現在、病気療養中で一線を退いており、今年の4月から私が2代目として運営に携わっています。
かつては商店街組合員数も300名を超え、都内でも有数の規模を誇るなど、中板橋商店街は地域コミュニティの中心として、街の活性化の一端を担ってきました。しかし、組合員の年齢も50~60歳代が「若手」と呼ばれるようになるなど、「このままでは衰退する一方」と、懸念が高まっていました。商店街の振興は振興組合の長年の課題でした。
そうしたなか、住人の高齢化への対応と商店街の振興のどちらか一つでも、解決できる手立てはないかと考えあぐねていたときに、うまくいけばその両方の問題を解決できる方法として、立ち上がったのが「商店街で介護サービスを提供する」というものでした。
ー中板橋商店街は池袋駅から4駅と都心に近い好立地ですが、「シャッター商店街」への懸念があったのでしょうか?
中板橋商店街は、東武東上線の中板橋駅の改札から出ると目の前にあります。しかし近年、大通り沿いに出店した大規模小売店舗によって、人の流れは大きく変わりました。他の地方都市と同様に、駅前の商店街を中心とする市街地の空洞化が懸念されるようになるなど、日本の地域社会が抱える課題と無縁ではありませんでした。
また、店主の高齢化を理由に店をたたむケースも出てくるなど、いわゆる「シャッター商店街」への懸念も高まってきたのです。
そうしたなかで、「自分たちの商店街をなんとかしよう!」と、商店街振興組合が自ら立ち上がり、「町の顔」としての商店街を取り戻すための取り組みが始まりました。
ー商店街が介護サービス事業を手がけることに、反対意見はなかったのでしょうか?
組合員からも大きな反対意見はなかったと聞いていますが、商店街にとって介護サービスは未知の世界ですから、「本当に実現できるのか」と不安は大きかったようです。しかし、事業の立案者の神林の本業がケアマネージャーだったこともあり、地域の介護サービスの課題を熟知していたのです。提案当時、商店街内には居宅介護支援と訪問介護の事業所はあるものの、デイサービスはないなどの課題があったと聞いています。
それで不安は大きかったものの、チャレンジしなければ状況は変わらないと、振興組合員全員の総意を得て、「商店街が運営するデイサービス」という、全国でも珍しい取り組みがスタートしたのです。
ー澁谷さんご自身は、どのような経緯で介護業界で働くようになったのでしょうか。
私は、高校を卒業してすぐにホテルに就職して以来、ホテルマンだったんです。当時はまだ、バリアフリーという言葉も珍しい時代で、禁煙フロアをつくろうかとか、そんなことが話題になる時代でした。そのホテルマンの時代に、ヘルパー3級の資格を取得したのが、私の介護の世界への入口になりました。
ヘルパーの資格を取得したのは、ベルマンだった頃のことです。ベルデスクの裏に車いすとストレッチャーが置いてありましたが、誰も使い方がわからなかったんです。広げると指を挟んでしまうことも日常茶飯事でした。当時はまだ、ホテルも高齢者や障害のある方の受け入れの形が整っていなかったのです。でもこれからは、それでは困るだろうと、自主的にヘルパーの資格取得し、介護の基本を学びました。
その時に、「介護は究極のサービス業である」ことを直観で感じました。人生最後のステージのためのサービスを、どうやったら提供できるのかを考え始めたのです。それで、その頃からホテルマンの仕事の傍ら、介護や福祉について勉強するようになりました。
そしてバブルがはじけ、観光業も少しずつ厳しくなってきたことから、30歳代になる頃に介護の研修事業を行う会社に転職を決めました。以来、16年間介護業界で研鑽を積み、なかいた倶楽部には、会社からの出向という形で取り組んでいます。
ーありがとうございました。
次回は、具体的な起業の経緯やなかいた倶楽部の特色について伺っていきます。
なかいた倶楽部。