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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

志をもってチャレンジを続ける方々を、毎月全4回にわたって紹介します!

【毎週木曜日更新】

Vol.76 連載第1回
皆が集える地域食堂活動の
原点は戦後の民主教育だった

渡邉 公子(わたなべ きみこ)さん

一般社団法人 ふらっとカフェ鎌倉代表

【HP】

渡邉さんは、NPO団体理事長などを経て、2017年、地域の誰もが自由に集える「ふらっとカフェ鎌倉」を立ち上げます。活動の原点は、人は皆平等、そしてお互い様という戦後教育にあると言います

取材・文 石川未紀

――地域食堂やフードバンク等、地域に密着した活動を精力的に行われていますね。

 特別なことをしているというつもりは全くなくて、ずっと当たり前のことをしてきただけ、と思っているんです。
 私は1943年1月1日生まれ。戦後の民主教育がスタートした直後に、小学校時代を過ごしました。

 私が暮らしていたのは、現在の宇都宮市。当時はまだ村でした。小学校には39歳の女性の校長先生がいらっしゃいました。あの頃は、何も感じていなかったのですが、男女平等、民主教育を意識した配属だったのかなと大人になってから感じました。あの校長先生がいらしたからこそ、人は差別したりされたりしない、男女平等ということが自然に備わっていったのではないかと思っています。
 農家が多い地域でしたが、うちは非農家で、父は東京の日本橋に勤めていました。東京の文化も入ってきましたから、そういう意味でも新しい時代の風を受け入れやすい環境だったと思います。

 さて、その校長先生が私たちの小学校にいらして、一番最初に取り組んだことは給食室を作ることでした。そのころは、白いご飯に梅干しを入れた「日の丸弁当」を持ってきている子どもが多く、栄養の偏りを心配されていたんです。校長先生は、サラリーマンの妻だった私の母に手伝ってほしいと声をかけ、ふたりで200人分の具沢山の鍋を作って子どもたちに食べさせていました。そんな二人の姿を見ていたものですから、私にも何かできることはないかな、と思いはじめました。
 小学校4年生の時でした。「農家をまわって野菜をもらってくる」とリアカーをひいて、農家を一軒一軒まわりました。

――小学校4年生でですか?おひとりでですか?

 ええ、ひとりで。友だちとの人間関係が悪いわけではなかったと思うのですが(笑)、思い立ったら、一人でもやってしまうんですね。私が住んでいた地域は坂道もないし、ひとりで野菜を集めてくることぐらいはできるんです。一件目の農家の人が大根をいれてくれたら、次にまわった農家の人はリアカーを覗いて、「では、うちはネギを入れるね」と――。いろいろな種類の野菜が集まりました。非農家のおうちでは、雑巾をたくさん縫っておいてくれて、提供してくれたり。
 この話をすると、周囲の人から「今やっていることと同じだね」と言われます。

――本当ですね。つながっています。

 当時は図書館の本も少なかったし、予算もなかったので、子どもたちが競争でイナゴをとってきて、それを売って本を買っていました。そんな時代でしたね。
 また、農繁期で学校がお休みになる時期があったのですが、その時は、校長先生は学校を保育所にして、農作業の手伝いができない小さい子どもたちを預かっていました。私も毎日学校へ行き、オルガンを弾いたりして幼い子どもの遊び相手をしていました。

――助け合うという行為が自然とできる土壌があったのですね。

 はい。また、夏休みは、農家の家は忙しくて、子どもの世話ができなくて困っていました。そこで、私は小学校5年生のとき、神社に事情を話して場所を提供してもらい、高学年が低学年の子どもの宿題の面倒を見るという、神社なんですけれど、寺子屋みたいなものをやりました。勉強がきらいな男子はかけっこや木登りを教えたり、お化け大会などを企画してもらったりしていましたね。未就学の子どもも連れてきてもらって一緒に遊びました。夏休み明けには、私の活動を見ていた方がいたらしく、校長先生から表彰されたんです。その時も、自分は何も特別なことをしているつもりはありませんでした。

――神社に交渉したり、子どもの勉強をみることなどは、大人でもなかなかできることではありません。

 それを見守り、応援してくれた大人がいたからできたのかなと感じています。小学校5年生の私でも、子どもにけがをさせてはいけない、ということくらいは気を付けていましたが、きっと至らないところもあったと思います。それでも周囲の大人は口出ししせず見守っていてくれたのでしょう。表彰されたということは、誰かが先生に伝えていたからだと思います。

 戦後の民主教育と、そんな周囲の大人たちがいてくれて、今の自分があるのだと思っています。

――今後の活動の原点となったのですね。

第2回は12月12日(木)掲載

渡邉 公子(わたなべ きみこ)さん 一般社団法人 ふらっとカフェ鎌倉代表

高等学校教員、大学教員、NPO事務局長・理事長等を経て、2017年一般社団法人「ふらっとカフェ鎌倉」を立ち上げる。世代を超えた交流の場を提供する「みんたべ」地域食堂、鎌倉市との協働事業「フードバンクかまくら」、市内で運営している子ども食堂や福祉団体、高齢者施設や保育園などと連携し情報交換をおこなう「みんたべ協議会」の三つの活動を柱に活動中。

ソンベカフェでは、みんなが参加して調理もする

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花げし舎編著「人生100年時代の新しい介護哲学:介護を仕事にした100人の理由」現代書館