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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第74回①
Open Village ノキシタ 村長 加藤 清也さん(60歳)
重度知的障害者の息子と認知症の父親と向き合い、
サービスを受ける側だから見えてきた疑問と課題。

村長 加藤 清也さん(60歳)
Open Village ノキシタ

福島県生まれ仙台市在住。国際航業株式会社の土木系技術者として、道路設計や道路防災に携わる。ある時、会社が所持していた土地の新規活用を任され、人々が集まり支え合うことのできる共生型複合施設の構想を練る。2019年5月18日、仙台市宮城野区田子西に「Open Village ノキシタ」を立ち上げる。「株式会社AiNest(国際航業株式会社100%出資)」代表取締役社長。

取材・文 原口美香

-現在仙台市で「地域共生社会への取り組み」として、みんなが集える「Open Village ノキシタ」を運営されている加藤さんですが、どのようなきっかけから「ノキシタ」を立ち上げることになったのでしょうか?

 私は国際航業株式会社(航空測量やまちづくりを行う建設コンサルタント会社)で、技術者として全国の道路の計画設計や道路防災の事業に携わってきました。ある時、会社が所有していた土地の活用を任され、新規事業を立ち上げることになりました。

 私には重度知的障害者の息子がいます。息子は生まれて2日目にくも膜下出血を発症し、一命は取り留めましたが重度の知的障害になりました。24歳になりますが、診断上は知的水準が2歳~3歳レベルと言われています。
 福祉や介護とは無関係の仕事をしてきましたが、父親も認知症になりプライベートではサービスを受ける側でした。サービスを受けて感じていたのが、既存の福祉や介護事業は補助金があって初めて成り立つ仕組みが多いということ。その資金を充てに事業運営する危うさを感じていました。障害者の親がよく「親亡きあとにこの子をどうする」と言いますが、私が亡きあとの息子の将来を考えた時に今の制度で何が残り、将来どのようなサービスが受けられるのだろうと考えたのです。
 現在日本国内にある制度で、何十年も内容が変わらず続いている制度は、どれだけあるのか?人口がどんどん増えてきた高度成長期を経て、社会保障という制度がつくられた。その頃は高齢者や障害者に比べて元気な現役世代がたくさんいて、社会を支え合うという仕組みが成り立ちました。でも、これからは少子化、高齢化が進んできて現役世代がどんどん減っていきます。人口構成が大きく変わるこれからの時代を、過去の延長上で考えていくのは無理があるのではないでしょうか。

 障害者だけでなく、高齢者にも子育て世代にも支援は必要です。しかしどこかに多く予算をかけたら、バランスを取るために削られる予算もあるでしょう。家計と同じで教育費にお金をかけたら、レジャー費や光熱費は削られるかも知れません。社会保障費増加などで国は毎年30兆円以上も借金し、累積借金額は千兆円を超えています。自分たちの活動資金を得るために、次の世代に借金を先送りするやり方が正しいのかと疑問でした。

 障害者を抱えていると、どうしても障害者ファーストで考えがちになります。私もそうでした。障害者のために何が必要か。障害者の問題を一人ひとりが自分のこととして考えて真剣に取り組むべきだ、という人もいます。でも社会にはそれぞれいろいろな課題を抱えて生きている人々がいる。○○ファーストというのは部分的には最適かも知れないが、社会全体で見た時に最適になっているのかという疑問もありました。

 息子が支援学校を卒業して社会に出るのに備えて、妻がいろいろな施設の見学に行きました。どんなところに息子を入れればいいのだろうと。私は仕事ばかりやっていて、息子のことは妻任せで無関心でしたから、偉そうに言える立場ではないのですが、「あの施設の取り組みが良かった」「あの施設にはステキな人がいた」とそれぞれの特長を熱心に話す妻に、近視眼的だと感じました。これからの社会を考えた時に、現時点でいいと思ったことがこの先も続くんだろうか?と。技術者として長年、国の仕事に携わってきたからこそ、いきなり予算がバッサリ切られる恐ろしさや、政権が変わるとそれまで必要だとやっていたことが180度変わるようなことも身を持って知っていたから不安だったのです。

-息子さんの将来のことを決めるのは慎重になりますね。

 会社から、今までやってきたまちづくりの技術を活かしつつ、全く違う市場の新規事業を立ち上げるよう命じられた時、感じていた福祉の課題がぼんやり浮かびました。世の中は、高齢者も障害者も地域に住んで支え合って生きていくべきだ。地域共生社会を目指そうという流れになってきている。そこで、まちづくりの会社として手掛けるべき地域共生社会とはどういうものだろう。これまでとは違う地域共生を実践する場所をつくったら面白いんじゃないか。そしてそれは新しいビジネスになるのではないかと考え始めたのです。

-それが今の「ノキシタ」の場所だったのですか?

 国際航業が土地区画整理事業に携わっていたのがこのエリアです。農地だったところを宅地などに転換する事業です。もともとは商業施設を誘致する計画でしたが、造成工事が始まって間もなく東日本大震災が起こりました。家を失った方々が住む場所を早急に確保するために、仙台市と協議して土地利用計画を大きく変更し、仙台市が復興公営住宅を建築したり、被災した方が自力で住宅を再建したりして、短期間で新しいまちができました。

 高齢者や障害者が優先で入居したため、他の地域よりもその割合が多いエリアとなりました。町内会の設立などのお手伝いをさせていただいた時に、移住してきた住民の方から、生活が一変して家の中に閉じこもっているという話や、沿岸部の広い住宅から初めて集合住宅に入る方も多く、人々との交流も減ってしまったという話をたくさん聞きました。このような状態が続いたら、孤立して要介護や認知症に繋がることになる。そこで会社から命じられた土地に、高齢者、障害者、みんなが集まり交流ができる居場所をつくり、まちの力で社会保障費縮減ができたらいいなと思ったのです。

-サービスを受ける側だったからこそ見えてきたことがあったのですね。
次回はどんなふうに「ノキシタ」を立ち上げていかれたのかを伺っていきたいと思います。

「ノキシタ」にて長男のヒロムさんと