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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第67回①
理事長 光原ゆき  NPO法人 キープ・ママ・スマイリング
長女、次女の入院付き添いをきっかけに
付き添い者の環境改善に取り組む

光原 ゆき(みつはら ゆき)

1996年一橋大学卒業後、株式会社リクルートに入社、メディアプロデュース等を手掛ける。長女、次女の長期入院付き添いの経験から、2014年11月にNPOキープ・ママ・スマイリングを設立、理事長に就任。入院中の子どもに付き添う家族を応援する活動を通じて、「病気の子どもを育てる母親・家族全体」への支援をさまざまな形で行っている。

取材・文 石川未紀

―入院している子どもに付き添う家族の環境改善に取り組んでいらっしゃるそうですが、この活動を始められた経緯を教えてください。

 私は大学卒業後、リクルートで働いていました。当時は仕事が楽しくて、寝る時間以外は会社にいるというような仕事人間でした。ある時、新規事業として、一般消費者向けの医療情報を提供するメディアをつくることになったのです。東京大学の医療政策人材講座に通って勉強しながら取り組みましたので、医療業界については一般の方より少しは詳しかったと思います。それでも、小児の医療事情に関しては全く知らなかったのです。
 そんな折に、長女を妊娠。経過は順調でしたが、出産直後に、様子がおかしいと告げられました。周囲はあわただしくなり、「うちの病院では対応できないから、専門の先生がいる病院へ搬送します」と言われたのです。その転院先で、「2万人に一人という病気で、今すぐ手術が必要だ」という話を聞きました。

―出産直後で大変な思いをされたのですね。

 はい。12月20日に出産、クリスマスの12月25日に8時間に及ぶ手術をしました。手術は成功して、大みそかにやっとICUを出て一般個室に入ることができたのです。
 そこで「個室ではお母さんが付き添ってください」と言われました。一人目の子どもですし、「もちろん付き添います」と伝え、閑散とした病室で長女と年を越しました。
 子どもと一緒に過ごせるのはうれしいことでしたが、通常の育児以外の、鼻から注入するミルクの準備やセットといったケアも母親が行っていました。私は出産後の体で、寝返りも打てない簡易ベッドで、腰痛にも悩まされましたし、常に寝不足。もちろん付き添い食は出ないので、子どもが寝ている間に、コンビニに駆け込んだりしていました。そんな生活が、長女が退院するまで半年ほど続きました。
 半年の間に1度転院をしましたが、転院先で「母子同室にしますか、日々面会に通う部屋にしますか?」と聞かれました。私は、母子同室をお願いしたのですが、この病院では付き添い者の食事も有料でたのむことができ、付き添いのルールは病院によって異なるのだと知りました。
 長女が安定してきたころに次女を授かったのですが、今度はおなかの中にいるときに、出産後に手術が必要な病気があるとわかったのです。
 次女も転院を経験し、私もその都度付き添い、その病院のルールの中で過ごしていました。
 実は、次女は11か月の時に急変して亡くなってしまったんです。今でも言葉にするのは難しいくらいの絶望の中、この先自分はどう生きていけばいいのか、全く分からなくなりました。すぐに復職する気持ちにはなれず、一か月お休みをいただいて、ただ泣くだけの毎日。
 支えは、長女でした。長女がいたから、かろうじて生活できていたんだと思います。同時に周囲の支えもあって、次第に「次女は私を選んで生まれ、彼女の人生を全うして空に帰ったんだ。彼女はきっと私に何かを託したに違いない」と思うようになったのです。いえ、そう思わないと立ち上がれなかったのでした。
 それは何だろう。次女に会えたから、私が知り得たことはたくさんありました。それを生かしながら、誰かの役に立つことができ、社会に貢献できれば、娘が生まれた意味を「かたち」にすることができる、と思ったのです。
 私は長女のときを含めると、6つの大きな病院にて付き添い入院をしました。病院ごとに付き添う家族の置かれている環境もルールも異なるけれど、ひとしく過酷でした。それでも、病院ごとに良い点もあり、今より環境が良くなる余地はあるのではないか。
 そこで、付き添い環境がより良くなるための活動がしたい、付き添いをしているお母さん、お父さんを応援したいと考えたのです。

―冒頭でお話しされた、医療業界の仕事が役に立ちそうです。

 はい。一方、医療業界の実情も知っていたので、個人で活動をしても受け入れてもらうことは難しいだろうと思いました。そこで、入院中の子どもの付き添いをしているお母さんやその家族を支援することを目的に、2014年にNPO法人キープ・ママ・スマイリングの前身の団体を立ち上げ、活動を開始したのです。

ありがとうございました。

入院している子どもに付き添って