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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第62回③
三橋淳子さん
精神医療と薬の問題を浮き彫りにした利用者さんの突然死。生き方も治療も薬も全部、本人が決める権利がある。

三橋淳子さん
神奈川県南足柄市生まれ。精神病院、生活支援センターなどのソーシャルワーカーを経て独立。精神保健福祉士、アンガーマネジメント講師、キャリアコンサルタントと幅広く活動している。「なるべく医療や薬は最小限に。仲間と一緒にセルフケア」を理念とし、心とからだの健康を考える市民団体「神奈川オルタナティブ協議会(オルかな)」の代表も務める。

 取材・文 原口美香

―前回はソーシャルワーカーになられて、病院の医療相談室、精神デイケア、就労B型作業所で働かれたことをお伺いしました。今回は「生活支援センター」に移られてからのことをお話いただきます。

 就労B型の作業所を辞めた後、病院時代に関わりのあった作業所の系列の「生活支援センター」が常勤を募集しているよ、と役所にいたソーシャルワーカーの方から教えてもらって見に行きました。そこは横浜市のマンモス団地にある事業所で、相談もやるし訪問もするし、団地の人、自治会、民生員の方、たくさんの人との関りがある。「すごくやりがいがあるよ」と引っ張っていただいて。基本的には精神障害の方がメインなのですが、高齢の方がいれば高齢の支援に繋げたり、一般の方でもゴミの出し方で問題が起きていれば訪問したり、関わり方が多様で御用聞きのような側面もあっておもしろかったんです。

 何年か過ぎた後、訪問専門の職員となりました。横浜市の独自の事業に「障害者自立生活アシスタント事業」というものがあります。障害があるけれどサービスの利用が出来ていない方や、通う先がなくて孤独な状況になっている方のところに入り、必要な支援に繋げていくのですが、関係性がないところから始めるので、なかなか受け入れてもらえないことがありました。電話しても会ってもらえなかったり、会ってもらえても続けて訪問させてもらえなかったり。どうやったら話を聞かせてもらえるか試行錯誤しながらの日々でした。

 2011年、ある利用者さんが突然死し、私がその第一発見者となりました。病院に勤めていた時は、重症だから病院に来たり入院したりしているけれど、地域に出ればもっと元気な人、回復している人や軽症の人が多いのだろうと勝手に思い込んでいました。ところが実際に地域のソーシャルワーカーになって訪問してみると、薬をたくさん飲んでいて具合の悪そうな人がいっぱいいたんです。私はびっくりしました。入院せず地域で暮らしているけれど、みなさん病状や薬の副作用に悩みを抱えていました。

 その方とは朝電話で話をしていて、「今日は診察の日だったけれど具合が悪くて病院に行けなかった」と。それで診察の予定を取り直してもらい、次は私も同行することにしました。「薬が多すぎて飲みたくない、減らしたい」とおっしゃってもいたのです。その日の夕方訪問することを約束して行ってみたら、受話器を持ったまま倒れていました。びっくりして救急車を呼んだのですが、亡くなっておられた。病院への搬送や自宅での警察の立ち合いを余儀なくされ、ショックと悲しみで絶望しました。私がもっと早く訪問していれば助かったんじゃないか、という罪悪感にも苦しみました。そして少し冷静になった時、これは長年大量の薬を飲んでいたからいろいろなところに病気が出てきたり具合が悪くなってしまったのではと思いました。
 薬の副作用について私たちはあまり勉強していません。飲んでもらうことが最優先、欠かしてはいけないという教育を学校でも現場でもされてきて、ちゃんと調べて考えるということをしてこなかったんですね。医療は医療、福祉は福祉と言われていたから。でもそうじゃないのかも知れないと、独自に調べ始めました。そうしているうちにいろいろな方との繋がりが出来て精神科と薬の問題が日本ではどれだけ深刻で犠牲になっている方が多いかということが分かってきたのです。
 その当時でもキャリアは10年を超えていましたが、知らないことが多すぎる、避けてきた問題があったということに反省をしました。
 自分で薬を止めたり減らしたりして回復した方の体験談も聞きまくって、全ての人の薬がいらない訳じゃないけれど、薬を減らしたりやめたりして元気になった人もこんなにいるんだということを知りました。現場にいると薬を飲んでいる人としか接しないので分からなかったのです。

 インターネットで様々な論文を読んでいるうちに、「精神医療被害連絡会」の存在を知りました。代表の中川さんは、奥さんがメンタル疾患を持ち、たくさんの薬を飲んでいて朝起きたら亡くなっていたというご遺族でした。ご自分で薬理や薬害のことを深く調べていらっしゃいました。中川さんから「セミナーがある」というので参加したのですが、その中で福祉の支援をやっているのは私だけ。ほとんどが当事者かそのご家族、ご遺族しかいなくて、福祉の私は間接的に加害者みたいなものなので責められるのではと思ったのですが、「よくぞ来てくれた」「ぜひ現場に伝えてもらいたい」と多くの方が言ってくださって。

 そこから私は生活支援センターに所属しながら、中川さんと全国で行われるセミナーに一緒に回るようになりました。また、日々の現場では自分が訪問している利用者さんの処方箋を見せてもらい、薬で困っていることはないかを聞くようにしました。すると多くの方が薬に関しての悩みを持っていることが分かったのです。不安や不満、私たちは今までそこにはあまり聞かずに「薬のことは先生に聞いてね」という形でやってきてしまったので、患者さん本人が先生には言えなかったり、言っても変わらなかったり。それで通院の際に一緒に行くようにしたり、聞きたいことをメモしたり、飲むと具合が悪くなる薬があればそれを伝えるようにしました。

 お医者さんに言われたまま薬を飲んでいた利用者さんが、自分で調べて考えるようになっていく様子をみて、いかに福祉職が薬の問題に関わらず、医療に投げて無責任だったか、すごく反省をしたんです。関わり始めると、病院側や行政から「処方に口を出すなんて」「不安を煽るようなことを言って」「具合が悪くなったらどうするの?」など、たくさんのことを言われました。でも私は薬を止めたり減らしたりして元気になっていった人たちを知っているから、その可能性を失くしたくなかったのです。最初はたくさんの薬を飲んでいるのを見ると、また亡くなってしまうんじゃないかという不安があり、早く伝えて減らしてもらわなきゃととても焦っていました。突然死の第一発見者になったことはすごくショックで、本当は仕事も辞めてしまいたかった。だけど薬害問題を知ったら辞めていられないと思い直したのです。私たちが現場でできることはないだろうかと考えました。

 医療や薬の問題について、別の選択肢、いろいろな考え方があっていいし、それを試す権利があるということを伝える活動をしていこうと決めました。「精神医療被害連絡会」から市民団体「オルタナティブ協議会」へ転換し、2014年、神奈川県支部の代表を務めることになったのです。

―三橋さんの危機感と強い意志を感じます。
 最終回では精神福祉保健士として独立をされた経緯から伺っていきたいと思います。

毎月福祉職向けに、精神医療と薬の問題について現場に活かせる生配信を行っている。