福祉の現場で思いをカタチに
~私が起業した理由 ・トライした理由 ~
志をもってチャレンジを続ける方々を、毎月全4回にわたって紹介します!
【毎週木曜日更新】
第62回②
三橋淳子さん
病院の医療相談室、精神デイケア、就労B型作業所で経験を積み見えてきた、その人の生活や背景に関わる重要性。
三橋淳子さん
神奈川県南足柄市生まれ。精神病院、生活支援センターなどのソーシャルワーカーを経て独立。精神保健福祉士、アンガーマネジメント講師、キャリアコンサルタントと幅広く活動している。「なるべく医療や薬は最小限に。仲間と一緒にセルフケア」を理念とし、心とからだの健康を考える市民団体「神奈川オルタナティブ協議会(オルかな)」の代表も務める。
取材・文 原口美香
―前回は専門学校での実習を経てソーシャルワーカーになろうと決意し、自力で精神病院に就職を決めたところまでお話いただきました。今回はその後の様子からお伺いしていきたいと思います。
採用いただいたのは1998年の3月の終わりでした。「ソーシャルワーカーになりたくても最初から相談室に入れるとは限らないよ」と言われていたにも関わらず、人手不足だったということと、面接をしてくれた主任さんが強く推してくれたそうで、いきなり医療相談室に配属となりました。その病院には丸10年お世話になって退職するのですが、前半は医療相談室で入退院の相談、退院へ向けてのアパート探しなど現在の精神保健福祉士の仕事そのものの経験を積ませてもらい、後半の4.5年は精神科デイケアに異動となりました。
精神科デイケアでは、退院して自宅で暮らしている人が様々なプログラムを通してリハビリをしています。コミュニケーションを学んだり、調理のプログラムがあったり、運動したり、カラオケや卓球のような娯楽があったり。社会復帰や就労に向けてのサポートもありました。デイケアはいろいろな専門職を配置する必要があって、看護師さん、作業療法士さん、プログラムによっては音楽療法士さん、そしてデイケア担当医がいるので、チームで連携を取って一人の患者さんを診るのです。個別に退院支援をしていた相談室とはまた違った視点がありました。その人がデイケア以外の作業所やグループホームなども利用していれば、そことのやりとりもしますし、外との連携も増え、その経験は今のベースになっていると思います。
その後は精神科の訪問看護の立ち上げにも関わりました。看護師さんと一緒に自宅に行って体調を聞いたり、薬の管理をしたり、病院でできる相談員の仕事は全部やらせてもらったと感じました。
一生懸命関わって退院しても、また入院になったり悪化してしまったりする患者さんが結構いらして、病院から外に出て地域のソーシャルワーカーになって、もっとその人の生活や就労に密着した支援をした方がいいのではと思い、10年の節目で退職を決めました。
―10年というのは一つの節目ですね。
次はどんなところに移られたのでしょうか。
たまたま繋がりのあった社会福祉法人の就労移行支援と就労B型を一緒にやっている多機能型の事業所から声をかけてもらい移りました。私は就労移行で企業さんとのやり取りや障害者雇用に繋ぐサポートがやりたかったのですが、就労B型に配属となりました。食品用の箱折作業を利用者さんとずっとやるという仕事です。利用者さんと話す時間もなく、帽子をかぶって手袋をはめ、工場長かなと思うくらい作業を回すことが主体で、私自身そんなに上手に箱が折れないのに、「そこ傷ついていますよ」「あと何個作ってください」と利用者さんに言うのが申し訳ないな、向いていないなと思いながら毎日を過ごしていました。数時間の作業中の利用者さんのことしか見ていなくて、その生活や病状の背景に関わろうとしない法人さんの方針に疑問もあり、私は一体何がしたいんだろうという気持ちにもなって1年3か月で辞めてしまいました。
―ソーシャルワーカーになられて、様々な場所で経験を積まれたのですね。
次回は「生活支援センター」に移られてからのことをお話いただきたいと思います。
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