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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第59回①
玉川謙一郎さん
学生の時にメンタル疾患を発症。
治療をしながら大学を卒業し一般就職をするが長続きせずに苦悩する。

玉川謙一郎さん(50歳)
神奈川県相模原市生まれ。高2の時にメンタル疾患を発症する。大学卒業後、一般企業に勤めるが長く続けられずに、35歳の頃、精神障害者保健福祉手帳を取得。その後は闘病を続けながら企業の障害者枠で勤務する。2021年の年末に独立。当事者としての経験を活かし、世の中に発信していこうと現在は企業研修講師、コーチ、カウンセラーとして活躍中。日本プロフェッショナル講師協会認定講師。DET(障害平等研修)認定(C)ファシリテーター。

 取材・文 原口美香

【YouTube】

―現在、メンタル疾患を抱えながら企業研修講師としてご活躍されている玉川さんですが、いつご病気になられたのですか?

 高校2年くらいの時から周囲の目が気になるようになりました。大学受験の為に塾に通っていたのですが、勉強に集中することが出来ず、参考書の文字が読めなくなったのです。 学校の中間テストや期末テストなどの短期的な勉強はできたので高校は卒業できたのですが、受験した大学はどこにも受かりませんでした。浪人を決めて予備校にも通うのですが、文字が読めない症状はずっと続いており、2浪後、やっとある大学に受かって通い始めました。
 でも希望の大学ではなかったし、何より自分自身に不満がありました。勉強をして3年次編入の制度を利用して上智大学の哲学科に入り直しました。
 入れたのはよかったのですが燃え尽き症候群のようになってしまい、1,2年が経つ頃にまた具合が悪くなってしまったのです。病気になった頃は「精神科」や「心療内科」の存在も知らなかったのですが、その頃は病院があることも調べて分かっていました。23、24歳の時に通院を始め、薬を処方してもらいながら通学ました。それでも、「もう無理だ、もう大学に通えない」と思う時期があり、25歳の時に休学をしました。1年くらい家から出ずに引きこもりのように、ひたすら眠っていたのです。本当に1年寝まくって、体調が良くなった感覚があり大学に戻ることができました。結局編入してから4年を費やしてしまい、大学を卒業した時は27歳になっていました。

―諦めずに卒業されたのですね。就職活動はどのようにされたのでしょうか?

 無事に卒業は出来ても、就職活動というところまでは考えられませんでした。それで公務員試験を受けようと勉強を始めました。その頃は病気も寛解というような状態まで良くなっていたのですが、集中して参考書を読めるという状況までには回復していませんでした。3年間挑戦し続けたのですが、公務員試験の年齢制限もあって断念しました。

 30歳になっていたので、就職を考えない訳にはいかず、地元のハローワークに通って、補聴器の販売会社に正社員として入社することが出来ました。そこは出張販売と店舗販売の形態があり、私は厚木の店舗に配属がきまっていたのですが、最初は先輩社員に付いて地方を車で回ったり、実店舗での研修を受けたりしました。地方を回るのはとても楽しかったです。研修を終えて店舗での勤務が始まりましたが、なかなか成績を出すことが難しく、1年くらいで辞めることになってしまいました。

 その後は学生時代にやっていたアルバイトに戻ったのですが、33歳の時、勉強して資格を取り、大きな病院に医療事務の仕事で入ることができました。ところが具合が悪くなってしまい、せっかく資格を取ったのにと随分悩みましたが、1か月くらいで辞めてしまいました。

 34歳の時にはある書店に契約社員として入ることができました。朝起きることが難しいので、店長に相談して遅いシフトに変えてもらうなどしながら、1年くらい働きました。しかしだんだんと仕事をすることが難しくなり、精神障害者手帳を取得することにしたのです。

―闘病をしながら、苦労をされて進まれて来られたのですね。
次回は精神障害者手帳を取得してからのことをお話いただきたいと思います。