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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

志をもってチャレンジを続ける方々を、毎月全4回にわたって紹介します!

【毎週木曜日更新】

第56回①
株式会社いろどり 代表取締役 渡邉 篤志さん
目標を見失い、藁をも縋る思いで入った介護の世界。
思いがけず人生の転機がやってきた。

株式会社いろどり
代表取締役 渡邉 篤志さん(50歳)
埼玉県狭山市生まれ。大学卒業後、発展途上国のフェアトレード関連の企業、コミュニティ起業の支援団体などを経て、2015年介護の世界へ。介護老人保健施設、訪問介護事業所で経験を積んだ後、2021年地元狭山市で「株式会社いろどり」を立ち上げる。管理者、サービス提供責任者を務めながら現在もヘルパーとして現場にも入る。社会福祉士、介護福祉士、認知症ケア専門士。令和4年にはケアマネージャー資格も取得。

 取材・文 原口美香

埼玉県狭山市入曽652-3-201

―訪問介護事業所を立ち上げて3年目になるということですが、渡邉さんはどのようにして「介護」と関わるようになられたのでしょうか?

 大学を卒業した後は発展途上国の経済開発や支援に携わりたいと、留学をし世界を見て勉強しました。帰国後は、フェアトレードを行う会社に勤めました。発展途上国のコーヒーやチョコレートを適正な価格で仕入れて販売するというような企業でした。そのうちに自分でも何かやりたいという気持ちになって、自然食品を扱うお店を始めました。ただ、生鮮食品を扱うのは思いのほか難しく、結局7年ほどで閉店してしまいました。
 目標を見失ってしまい、それからは二転三転と転職を繰り返しました。40歳間近になって、何度も転職をしていると働く場所がなくなってしまう。それこそ履歴書を30枚40枚50枚と書いても、面接すら辿り着けない期間があって、だんだん気持ちが病んできてしまったのです。
 そのときにたまたま求人広告で介護の仕事を見つけました。資格がなくても学びながら働ける。全然介護のことは知らなかったのですが、もともと社会的なことには関心があったし、仕事の選択肢もほとんど無かったので藁をも縋る思いで入ってみたのです。自信はないけれどやってみようと。

 週の半分は講義を受けて、あとの半分は現場に出るという生活が始まりました。最初の現場は介護老人保健施設(老健)でしたが、正直なところ、おむつ交換などには抵抗がありました。
 現場に出た初日だったか2日目だったか、認知症の方がお風呂から上がってきたところ、先輩から「ハンドクリームをぬってください」と言われて。恐る恐る塗って差し上げたところ、その方が泣かんばかりに喜んでくれた。その時に「これだ!」と思ったんです。人生の転機の瞬間でした。自分はこの世界で生きていこうと、その時に決意したんです。それからはテキストの隅まできっちりと読み込んで、必死で勉強しました。

―まさに人生の転機の瞬間だったのですね。

 その時のことは今でも鮮明に思い出すことができます。資格が取れた後は、そのまま老健に就職しました。まずは施設で頑張ってみようと思って働いているうちに、在宅介護に関心を持ち始めたのです。3年はここで技術をしっかり身につけたら訪問介護の事業所に移ろうと考えました。3年後、介護部長にならないかとのお誘いもいただいたのですが、お断りして訪問介護の事業所に移りました。

 転職した西東京市にある訪問介護事業所は、まだ立ち上げたばかりのような状態で、私はサービス提供責任者として入りました。同じ介護でも施設介護と在宅介護は全く違うのだなと感じましたね。ここでもいろいろなことを学ばせてもらいました。

 3年経って、ずっと育ってきた狭山市で訪問介護の事業所を立ち上げたいと思い起業をすることにしたのです。

―計画通り順調に進んでいかれたのですね。
次回は「いろどり訪問介護」を立ち上げるところからお話を伺っていきたいと思います。

「いろどり訪問介護」のホームページをつくる渡邉さん。
写真が得意なスタッフ、イラストが得意なスタッフ、
それぞれ得意なことを持ち寄って事業所が運営されている。

●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃいましたら、terada@chuohoki.co.jp までご連絡ください。折り返し連絡させていただきます。

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100歳時代の新しい介護哲学

「ファンタスティック・プロデューサー」で、ノンフィクション作家の久田恵が立ち上げた企画・編集グループが、全国で取材を進めていきます

本サイト : 介護職に就いた私の理由(わけ)が一冊の本になりました。

花げし舎編著「人生100年時代の新しい介護哲学:介護を仕事にした100人の理由」現代書館