山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術
超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。
- プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)
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介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。
「最期の選択」
人生において「生まれてくること」に選択肢はない。
生まれてくる子は、親も環境も選ぶことはできません。自らの意思で生まれてきたのではないから。だからこそ、親には大いなる責任が伴うのです。
人間は生まれてから成長し、自らの意思をもつようになり、成人を迎えます。
「成人」と検索すると、「心身が発達して一人前になった人」と出てきます。この解釈であれば、この時点で人間には自分で判断する権利、選択する権利が与えられるのではないでしょうか。
私も自分の人生のなかで、たくさんの判断、たくさんの選択をしてきました。
どんなに上手くいかなくても、どんなに苦しくても、結局それを決めているのは自分です。「自分で選択すること」。これを個人の尊厳というのかもしれません。
私たちが介護させていただく「要介護」という認定をされた高齢者の方たちはどうでしょうか。
歩けなくなる、認知症になる、施設に入居する…。こういったことは、ご本人が決めたことだったでしょうか。
「トイレに行きたい」と職員にお願いしても、「さっき行ったばかりですよ」「順番にご案内しているのでお待ちください」。
「もう食べたくない」と食事をやめようとしても、「全然食べてないじゃないですか。後でお腹空いても何もありませんよ」「全部食べないと帰れませんよ」。
トイレに行くことも、今は食事を食べたくないということも、自分の意思でかなえることができない。施設によっては…、介護する職員によっては、人生の晩年にこのような悲劇が待っていることになります。
そして、人生の最期のときがやってきます。
どこで死にたいか、どのように死にたいか、誰に見守られて死にたいか…。
人生の最期の選択。
しかし、このようになったとき、多くの人が自分の意思をもはや伝えられる状態にありません。ドラマのように、最後の言葉を残したりすることはできないのです。
それならば、施設はここで死にたいと思える場所だろうか、人生の最期を迎えるには今のままでよいだろうか、職員は最期のときを見守ってもらいたい存在になれているだろうか…。そんなことに想いを馳せてみてはどうでしょうか。
11月11日は「介護の日」です。「いい日、いい日」ということで、この日に制定されたと聞いています。
介護を受けるようになった高齢者に選択肢はないのか、施設は最期を迎えるのに相応しい場所になっているだろうか。
介護の日。忙しい足を少し止めて、そんなことを話し合う日にしてもいいかもしれませんね。