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山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)

超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。

プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)

介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。

「私のなかにあるもの」

 20年前…。私は、無資格未経験。右も左もわからない状態で、介護業界に足を踏み入れました。29歳でした。
 どうしてもやりたい仕事だったとか、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きでとか、そんなものは何もありませんでした。別にそれほどやる気があったわけでもないのですが、介護保険スタートの年で、何やら世間が騒いでいたし、何となく就職したのです。

 もともと気性が激しく、自分の思い通りにならないことは、思い通りになるまでやるようなタイプだった私は、今思えば、上司なら絶対に部下にはもちたくないタイプ。
 こんな私を丸ごと受け止めてくれたのが、当時の女性施設長Hさんでした。
 明るくて朗らかで太陽のような人。当時も多くの苦難がありましたが、いつも「あっはっは!」と笑っていた顔しか思い出せません。とにかく明るい人でした。

 現場の“ボス”に君臨していた私に役職を与えてくださり、ケアマネジャーの資格を取ったときには、すぐにケアマネ&相談員に抜擢してくれました。勇気があります。今、自分が施設長になってみて、こんな問題児を役職に上げるなんて考えません。
 それからの私は、「やりたい放題」という言葉がしっくりくるほど、自分の思うがままに行動していました。だけどそれができたのは、多くの外圧からH施設長が守ってくれていたからに他なりません。いろんなことを言ってくる人がたくさんいたはずです。本当に心の広い人でした。

 過去に、部下の指導について、H施設長からこのように言われたことがあります。
 「山口さんは、失敗させることができるからすごい。失敗から学ばせようとする。私にはそれができない。失敗するとわかっていることは、失敗しないようにどうしても手を出してしまう。ダメなのよね」
 母性の強いH施設長らしい考えだと思いました。

 先日、何年かぶりにお会いして、短い時間でしたが、近況報告をさせていただきました。
 明るい笑顔は当時とまったく変わりなく、あの頃に戻ったような気がするほどでした。
 H施設長は、昔も今も私のことをいつも応援してくれています。優しく大きな眼差しで私を見てくれています。その気持ちに応えたくて、頑張っています。

 7年くらい前だったか…。
 「山口さんは、自分に不可能はない!って本気で思ってるでしょ」と言われました。
 H施設長は何気なく言ってくれた言葉かもしれませんが、この言葉が苦しいときでも私を支えてきてくれました。
 (そう! 俺に不可能はない!)
 私がどんな逆境でも絶対に挫けないのは、H施設長をはじめ、多くの方が応援してくれているから。
 それが「私のなかにあるもの」です。