山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術
超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。
- プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)
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介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。
君の名は。
93歳の女性入居者は言います。
「娘が来た時に、「あなただ~れ?」なんて言わないようにしなきゃね」
認知症。段階的に進行し、残酷にも最愛の家族のことさえわからなくなることがあります。
施設に入居する日。職員から家族への聞き取りが終わり、家族が帰ろうとすると、入居者(父親、母親)は必死に抵抗することがあります。
「あんた、私だけ置いて家に帰るの?私をここに捨てていく気!?」
もちろん、家族は説明をしています。それは説得に近いかもしれません。しかし、それは親にとって理解できないこと。「誰があんたをここまで育てたと思っているの!」そんな辛い場面を目にします。どうしても納得してもらえず、家族の中には、トイレにいくフリをして、裏から帰るようなこともあります。
ある女性入居者Aさんの息子さん。彼は入居時に上記と同じような思いをして、母親に会うことが辛くなりました。「会いに行かなきゃ」と思いつつ、「会いに行くとまた帰りたいと興奮してしまうのではないか」「かえって職員さん達に迷惑がかかるのではないか」、そんな思いにさいなまれ、一日一日と時は過ぎていきました。
この間も、娘さんは面会に来ていました。娘さんは職員に「母にとっては、兄(息子さん)が一番なんですよ。ずっと可愛がってきましたから。私のこともわからなくなっていますから、兄が来てももうわからないかもしれません。でも、顔見せてあげたら、って兄には電話しているんですけどね……」と話していました。
時が過ぎ、Aさんに最期の時が迫っていました。
職員は息子さんに連絡しました。「わかりました……」と電話口で答える息子さんの声には、「そんな状態の母を見たくない」という気持ちが表れていました。
息子さんはAさんが大好きでした。いつも優しかった母。しっかり者で尊敬していた母。そんな母が認知症になったことを受け入れられなかったのです。
しかし、現実を直視できなかった間に時は過ぎ、母との別れの時が迫っていました。
施設にやって来た息子さん。職員はお部屋に案内しました。
「Aさん、息子さんが来てくれたよ」職員はベッドで寝ているAさんに声をかけました。少し離れてAさんを見る息子さん。
Aさんは息子さんを見つめ、息子さんの名前を呼びました。
息子さんは驚いた後、Aさんと職員から顔を背けました。
「では、失礼致します」職員は部屋を出ました。
何年ぶりでしょうか。親子二人だけの時間。
どんなことを話したのか。手を握ってくれたのか。身体を擦ってくれたのか。それは二人にしかわかりません。
お帰りの際、事務所に立ち寄られた息子さんは、「ありがとうございました」と職員に深々と頭を下げていました。
顔を上げた息子さんは、来た時よりも、とっても優しい顔をしていました。