山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術
超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。
- プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)
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介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。
戦争はまだ終わっていない
終戦の日の1か月前。世の中は8月になると、思い出したかのように、戦争を題材にしたドラマが流れ、報道では特集が組まれます。
92歳の入居者Mさんは入居してもうすぐ一ヶ月が経とうとしています。
朝食後、「Mさん、ここでの生活はどう?」とたずねると、「退屈よ。だってお外にも全然行けないんだもの……」
「だったら、今から一緒に買い物行こうか」と言うと、「ホントッ!?」と笑顔が弾け、普段車椅子をなんとか操作しているようなMさんが、すごいスピードで自走し、部屋へ向かいました。
買い物している最中も、「こんなに買って怒られない?」と気にするMさん。
「大丈夫だよ。Mさんが好きな物買って、何を人様に怒られる筋合いがあるの。気にしなくていいから、好きなもの買ってね」と言うと、Mさんの顔はいたずらっ子のようにキラキラしていました。時間がなかったので短いデートでしたが、楽しかったです。
施設に帰り、外の休憩所で買ってきた物を一緒に食べました。Mさんは会話の中で、自分のこれまでの人生を語り始めました。
終戦から今年で71年。92歳のMさんは、当時21歳でした。
「大変っていうより、大変かどうかも考える余裕がなかったかなぁ。今日生きるのに必死で、明日のこと考える余裕もなかったから。戦争で何も無くなっちゃって、戦争終わったって言われても、これからどうやって生きていけばいいの…って思ったねぇ」
それからMさんは、亭主関白の夫に苦しめられたこと、お金がない中での子育て……時代にしがみつくように生きてきた歴史を聴かせてくれました。
「こんなに長く生きるとは思わなかったねぇ。嫌だね。こんな自分のことも自分でできなくなってまで、生きるなんてね……。長生きしたって、何の楽しみもないのにねぇ……」
Mさんは、私から目をそらしながら、淋しそうに言いました。
「そうでもないよ。Mさんが長生きした甲斐がなかったかどうかは、これから決めてよ」
私がそう言うと、Mさんは「ありがとう…。そうだね」とニッコリ笑ってくれました。
戦争は8月に終わっただけで、8月だけ戦争していたわけじゃない――こんなに苦労して生きてきた人達に思いを馳せるのが、8月だけなんておかしいですよね。
私たち介護の仕事は、こういう時代を生きてきた人達の晩年に関わる仕事です。時代は高齢者に対して決して明るいものではありません。だからこそ私たちが高齢者の苦労して生きてきた人生が報われるよう、優しい人達に囲まれる環境をつくりたい。天国に行く前の天国。パラダイスを作ることのできる唯一無二の仕事。それが介護職であり、私たちの使命だと思うのです。
だって、戦争が終わっても、戦争を乗り越えた人たちがまだ幸せになってないのだから・・・。