山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術
超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。
- プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)
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介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。
それぞれの70年談話
戦後70年ということもありますが、8月になると、戦争の映画やドラマ、ドキュメンタリー番組などが急に放送されるようになります。
8月6日、広島に原爆が投下された日。この日、施設内でも黙祷をしました。普段、いつも笑顔で過ごしているお婆ちゃんが、両手を合わせ、ずっと遠くを見ているような表情をしていました。この方の故郷は、広島です。
戦後70年が経ち、当時20歳だった人が90歳。確かに、戦争を語れる人が少なくなっていくのも当然だと思います。では、これからの日本で、誰がこの戦争を語り継いでいくのでしょう?
私がこの仕事に就いて15年が経ちます。この間、多くの高齢者と出会い、別れました。そして、その方たちから、戦争の体験をたくさん聴かせていただきました。男性は、戦地に行った武勇伝、捕虜になっていた間の明日のしれない悲惨な生活、特攻に出撃する仲間を見送った思い出など、聴かせていただきました。
女性からは、夫や息子、兄弟が戦争に召集された時の気持ちや、戦争に男手がすべて行ってしまった中で、女性が家族を守り、防空壕を自分で掘った話などを聴かせていただきました。
90代の女性は、戦後70年と聴いて、「もう、そんなに経つんですね。私が弟を戦争に送り出して、そんなに…」と話し始めました。
「弟に召集令状がきた時、名誉なことだと、私は喜びました。そういう教育を受けてましたから。弟が戦地に行く前日。私が仕度をしました。お国のために戦ってこい!と、万歳をしました。私が弟を殺したようなものです。あの教育はなんだったのでしょうか。生きていれば、弟は今頃、子どもや孫に囲まれて、幸せな生活をしていたでしょう。私は今でも弟に、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝っています」
と話してくれました。
戦後70年。70年経っても、ずっとこの方のように自分を責め続け、苦しんでいる人もいます。戦後、と言いますが、それぞれの人の中で、本当に戦争は終わったのでしょうか。戦争は終戦しても、それぞれの戦争は終わっていない。そんな気がします。
90代の男性利用者が、テレビで国会中継を見ながら、険しい表情で言いました。「俺は、こんな国にするために、命がけで戦争に行ったんじゃねえ!」
高齢者介護を仕事とする私たち。他の職業よりも、おそらく最も戦争のリアルな話を聴けるところにいます。高齢者が、なぜ私たちに戦争の話を聴かせてくれるのか。その真意は分かりません。
一生消えることのない爪跡を残した戦争。二度と繰り返してはいけないと、貴重な体験談を語り継いでいく役割は、もしかしたら私たちにあるのかもしれません。