和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
時間が止まった日本の四市一村
ただひとえに好奇心だけで行ってみたかった福島県浪江町。浪江町の知人を通じて、そこにようやく行かせていただく機会を得ました。
僕のような不埒な動機の者が行く場所でないことは重々承知していますので、3年間は欲望を出さず、今年の2月に計画したのですが、天の神様に不埒な動機を見抜かれたかのように、70年ぶりの大雪を与えられあえなく断念。二度目の挑戦でようやくたどり着けました。
日本の国にも立ち入り禁止区域はあります。でもそこは特殊な地域で、民生地域で立ち入り禁止区域、許可証なしで入れない地域はあり得ないでしょう。
つまり、民生地域なのに立ち入り禁止区域となり、住民が追い出されている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、葛尾村は「特殊な地域」なのです。
行って見た感想は「映画のセット」。
今までにも、炭鉱や鉱山が閉山になった跡地や、ダムで埋まる直前の村を訪ねたことがありますが、古いものは別として、民生用の建物が崩れたままになっているような光景はありませんでした。
そのままの状態に置いておくことが補償の対象になるとのことで、稼働する車さえも(おそらく)当時のまま置いてあるため、日常を再現した「リアルな出来のいい映画のセット」って感じなのです。
歩道に備わった池の金魚は金魚のままでしたね。いつからこの池にいるのかわからないのですが(聞くにも人がいない)、僕の放射能のイメージといえばゴジラ。なんでも巨大化するってイメージなので、3年で金魚が鯉になっていてもおかしくはないのですが…。
これはグループホーム。どこも壊れていませんが、人が住まなくなった家は小屋ですね。さびしい限りでネズミの棲み家になっていました。ここに住んでいた人たちは、別の街に設置された仮設グループホーム(下の写真)で暮らしています(2月のブログでも紹介しました)。
もうひとつ僕が思ったのは「他人事」。
結局はそれもこれも、起こった時点から「ひとごと」であり、時間の経過とともに「ひとごと度」が強まっていくのは当たり前のこと。
それはきっと、どんなことでもそのことの当事者にすれば「我がこと」を求めたくなるものですが、その当事者だって何事に対しても「我がこと」と思えるかといえばそんなわけもなく、それが人として「ふつう」なのではないでしょうか。
僕ははっきり言って原子力発電に対しては反対してきたし、それが事故を起こし節電を求められたからって怒ることもなかったし、その意味ではそこには当事者意識はありますが、原子力発電を受け入れて、発電所でそれなりに恩恵を受けて暮らしてきた地域の人たちが、この事故で住み慣れた町に住めなくなったのは「リスク」を負って受け入れた以上仕方のないことだと思っています。おそらく追い出された住民の中にもそう思っている方はいることでしょう。
僕が風化させてはならないと思うのは、そのことで、誰もがリスクを覚悟して受け入れたのなら、事故が起こったからといって騒ぎ立てるのではなく、それをも受け入れて前に進む、そこまで覚悟を決めることを風化させないということです。
政治に無関心でいる間にこの国がどんな進路をとろうが、社会の動きに無関心でいる間に介護の業界がどんな仕組みにされようが、それもこれも「ひとごとと思う者の覚悟」「無関心者の覚悟」が必要だということです。
神様は僕の不埒さをよく見抜いていて、一度目は大雪でさえぎり改心を促させてくれたのでしょう。
それに逆らって先週末強行した結果、浪江町を出てから体調を崩し、とうとう旅先から自宅に戻れなくなり、旅先で今療養させてもらっています。
福島では 放射能が 今でも 垂れ流し
だけども 問題は 金がないから 酒が飲めない
てな感じですかね。世の中全体は。
みなさんはどうですか?
おれは私は和田さんとはちがう、ざまあみやがれ!
他人事なんて言ってるから療養状態になるんや!
っていう人がたっぷりいると頼もしいけどね。