和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
先日から変わりつつある死の景色
三重県津市で開催された「死の臨床研究大会シンポジウム」に出させていただきました。
恥ずかしながら、かような大会が毎年開催されていて歴史を積み上げていることを全く知りませんでした。医師や看護師といった医療職が主になっている会でした。
ただ、昔は市民グループもたくさん参加していて医療職とともに喧々諤々やられていたようで、そんな会に戻したいと言われていた方もいました。
看取りのお話の中に混ざって「どう死ぬかも大事だがどう生きていただくかはもっと大事」と場違いな話をさせていただきました。
以下、抄録集に掲載させていただいた抄録を掲載させていただきます。
人は誕生する場面において自分の意思を反映させることはできませんが、通常の状態ならば生きることや死を迎える場面に意思(本意)を反映させることは可能です。
ただ「ヒトとしての最大寿命」に向かいつつも、いつ自分が死を迎えるかは誰にもわからず、とりわけ高齢期はその確率が高まる時期とも言え、残された時間的猶予量にかかわらず、その意味では人生の「最終段階」と言えなくもなく、生きている今、この瞬間が人にとって、とても貴重な時間だと生活支援者として心得ています。
死を迎えるまで人は生きており、どの段階であれ「生きることを支援する」のが自分の専門性であり、その人の状態に応じ支援の量と質(内容)が変化したとしても、人として生きることを支援することに変わりはないと考えています。
自分は、公務(介護保険制度下)として要介護状態にある方々の生活を支援することを仕事(専門性)としていますので、高齢期且つ要介護状態という、まさに「最終段階黄金期の方々」へのかかわりが職業であり、どうすれば黄金期にふさわしい暮らしを最期まで営んでいただくことができるか、その専門性を追い求めてきました。
平たく言えば、要介護状態・身体障がい・認知症であったとしても「人生をあきらめさせない、人として生きる姿から遠ざけない」ということであり、「人として生きる姿」の基本は「自分の能力(意思含)を自分の暮らしに使う、他者と関係をもって互いに助け合って生きる、社会とつながった暮らし、わが・まま」と捉え、最期までその姿のままで暮らせるように支援するということです。
その意味では、介護の仕事は「ケア」ではなく「人権との闘い」であり、孤立を心底願う人には孤立への支援をすることも専門職としての職務であると心得ながらも、本人が「どう生きたいか・死を迎えたいか(本意)」に基づき「どう生きていただきたいか・死を迎えていただきたいか(本位)」を専門職として加味し、その環境を整えることこそ生活支援者の使命と考えていますし、これからも医療職などと手を携え、力を尽くし切るために我を張って生きたいと考えています。
※第46回死の臨床研究会年次大会提出抄録を掲載
会に参加したあと、ある雑誌で「あなたの体の細胞は38億年生き続けてきた」という記事を読み、「死=終わり」ではなく「死は生を産むうえで不可欠」だと思うようになり、細胞の連続性の中のほんの80年90年ほど僕は生命をつないでいるに過ぎないんだと思え「死の景色」が変わってきました。
写真
宮古島から伊良部島にかかる伊良部大橋の夕景。