和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
自己免疫力
僕がグループホームで取り組んだことのひとつに「身体を冷やさない・温める」ことがあります。
具体的には、夏場でも冷たい飲み物は控えるようにし、可能な限り常温か温かいお茶を飲むようにしていました。
室温は暑くない程度に温度設定。温度よりも除湿に気を配りました。目に映る「涼」として扇風機を活用し、うちわをリビングのテーブル上に置くようにしていました。婆さんたちが「今日は暑いね」と団扇を手にしてパタパタ扇ぐ光景は「夏」でしたよ。
買物に出かけ帰ってくると汗冷えしないように着替えていただいていました。思うようには着替えてくれないこともありましたが、そこはたたかいです。
就寝前に入浴し、身体を温めて汗をひかせて就寝できるようにもしていましたが、ただ夕食後から就寝準備まで二人の職員が決められた時間内でやり切らねばならない現実もあり、介助が必要になると昼食と夕食準備までの間に入っていただいていましたね。
夏場の運動は、さすがに真昼間は気温が高いので気を付けながらではありますが、街中を歩くことは止めませんでした。
つまり、「身体を冷やさないようにするためにはどうしたらいいか」を軸に、「何ができない・何はできる」を定めて、できないことはいろいろ思うことはあってもスパッと切り捨て、できないと見定めたこと以外には挑んでいました。
例えば真昼間はたまらなく暑いので、早朝僕一人で8人の入居者を連れて焼き立てパンを買いに出かけたりしました。さすがに日勤で出社してきた職員は誰もいないので驚いていましたがね。でもこれは他の職員にはマネしないようにクギを刺しました。
昨今のウイルス対策で「自己免疫力」のことが話題になっていますが、僕の中では「身体を冷やさない」ことも、その取り組みのひとつです。
さすがに僕には学がないので細かい理屈はわかっていませんでしたが、「自己免疫力」の言葉は知っていましたし、これが大事なキーワードだということは感覚的にわかっていました。
だから僕自身、今でも寝る部屋にエアコンはつけていませんし、夏場の飲み物は汗が噴き出すほどの温かいものを飲むようにしています。
ただここ10年はかなり「気をつけ具合」が下がってきており、「いかんなぁ」と思い始めてはいますが、思うほど何かを実行できる根性もなくなってきました。
食べ物にしても、身体によいとされる食材を食べる量が減ってきています。例えば、生姜・ニンニク・人参・イモ類の量は激減しています。
ただ名残的に、唐辛子は今でもよく使いますし、どれだけ暑い日でもコーヒーはホットですがね。
運動も、歩く・ストレッチ・自重運動を軸に適度にしていましたが、これも激減。
入浴もシャワーで済ませることが多くなってきました。湯船につかるのが面倒くさくなっています。
こうした「手抜き・腑抜け」のツケが今になって回ってきているかのように、今の僕は不調続きです。
目に見えない僕の「自己免疫力」を立て直せるかどうかが、僕の70歳代を決定づけるかもしれません。
とりあえず、これを記事にして他人様に読んでいただいた以上、「額に汗するぐらいまで入浴して直後に横になる」ことには取り組んでいこうかな。
追伸
オリ・パラ(オリンピック・パラリンピック)がどうなるか「?」の様相になってきました。
僕の弟のような存在のヤツが聖火リレーに申し込んで見事当たり、ものすごい楽しみにしていましたが、流れてしまったようですね。しかも生まれ故郷の地を走る予定だったようなので気の毒に。
コロナによって楽しみを奪われた人々が世界中にいます。
人類VSウイルスの戦争ですが、戦争はどんな戦争でも奪われるんですよね。
写真
南国情緒漂う景色の中、黄色い畑・黄色いポスト。
何とものどかな光景ですが、これは愛知県渥美半島の菜の花畑で、5歳になったばかりのちびっ子に「春=黄色い花=菜の花」を思い描けるようにとの親の思いで連れて行きました。でも、ちびっこは菜の花よりも海でしたね。
僕も久しぶりに気持ち良い時間でした。これも自己免疫力を高めたでしょうね。