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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

ひと目会いたい


 中学生三年生の時、大好きだった人がいました。
 その頃の僕は、自分の学費や小遣いを自分で稼がなきゃいけない状況だったので、毎朝4時過ぎに起きて新聞配達をして稼いでいましたが、配達の最後のお宅が僕の大好きだった人のお宅。
 時折ピアノの音が聞こえ、試験前になると彼女のお部屋らしき角部屋の電灯が点いていました。僕に映るのは「お嬢様」で、僕とは違う世界の遠い雲の上の人でした。

 どんな理由だったかは覚えていませんが、違うクラスの男子と彼女と僕とで大阪万博に行くことになったのですが、僕はてっきりその二人は仲良しでお付き合いしていると思い込んでいました。
 後にそうではないことがわかり、これまた何がきっかけだったか覚えてませんが、それをきっかけに一緒に過ごすようになり、手をつないで歩くようになりました。

 当時の僕は小心者・内向的な性格そのままの振る舞いしかできない男子で、お弁当は誰にも中身を見られないように蓋を立てて隠すように食べる、答案用紙を教壇まで受け取りに行くと点数のところを折って誰に見られないように隠して机に戻るような感じの人で、彼女とのことは誰にも言えず、会うのもコソコソと会っていました。

 学校が終わると彼女は塾へ通い、僕は陸上部に所属していたこともあって毎日数キロ走りに行き、塾帰りの彼女と学校の裏門でおち会って話をして帰るのが、今でいうデートでした。
 当時は10円玉ひとつで時間に制限なく電話がかけられたので、彼女の家の真ん前の公衆電話から電話をかけ、2時間3時間4時間喋っていました。夢心地の時間でした。

 その大好きだった彼女に卒業前に振られてしまいました。
 あれから五十年。

 2003年に出版した「大逆転の痴呆ケア」を引っ提げて出版社主催の講演会が大阪であり、その時にクラスメートが来てくれていて何年ぶりかに再会。それをきっかけにクラス会(同窓会)に出るようになりましたが、それが回を重ねるうちにクラスメイトに彼女のことを話せるようになり、「どうしても死ぬまでに会いたい」と告げていました。

 そんな僕の願いが通じたかのように、卒業後初めて50年目の同級会プレ企画が開催されることになり、幹事を務めるクラスメイトがそのことを知らせてくれ、その参加者旧姓名簿を見て、胸がときめきました。
 そぉ、彼女の名前が書いてあったからです。

「来てるよ」
 遅れていった僕に受付をしていたクラスメイトが言ってくれました。
 大勢の中でも、ひと目で彼女がいることはわかりました。
 別のクラスメイトからは「いるぞ、行ってこい」と言われましたが、身体が固まって動けません。
「いやいや、もうちょっと飲んでから」と緊張を隠すのが精いっぱい。

 僕のことを憶えてくれていた人や、クラブが一緒だった人が話に来てくれ一瞬はリラックスできましたが、ずっと緊張しまくりでコチコチ。トイレと外のテラスに行くのが精いっぱいでした。

 残された時間がどんどん少なくなっていきますが、自分からは動けません。
「彼女は憶えてなんかいないはず」
 自分に言い聞かせながら、ほぼ何も食えず、飲むこともできず、ただ茫然と座って、いろいろな人と立ち回って話す彼女を時折見ようとする僕でしかいられません。

「このまま終わるかも。ダメな俺」
 と気落ちしていたそのとき、何と彼女から僕に近寄ってきてくれ言葉をかけてくれました。
 ただただ嬉しくて思わず「会いたかったわ」とハグハグしてしまいました。
「テレビで名前を見て、きっとそうかなと思っていた。」
 もう涙が止まりませんでした。
 とにかく一目会いたかったこと、会ってひとつだけ伝えたかった「あなたに振られたことが今の僕につながっている。ありがとう」とだけしか言えなかったけど(それも憶えていませんが)、「私の青春やったわ、ごめんね」と言ってもらえ、五十年の区切りがついた気がしました。

 きっと施設に入っている高齢者の中には、「もう一度あの人に会いたい」って思っている人がいることでしょう。
 その夢を叶えてあげたい、「もう一度ひと目会いたい人はいますか」って聞いてあげたい。改めて思いました。

写真
 富士山を襲い掛かる大ウナギか龍のごとくの雲でした。