和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
-
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
2020 今年もよろしく!
ふと、年賀状で気づいたのですが、歳を重ねるにつれ「喪中はがき」の数が増えてきた気がします。
僕とお付き合いくださっている方は僕の年齢に近い方が多いので、その親たちはそれなりの年齢でしょうから、必然なんですかね。同時に、親のことで相談を受けることも増えてきましたが、これも必然でしょう。
僕と同じ年齢だと65歳ですから、その親は平均年齢を超えていてもおかしくなく、何があっても不思議ではない年齢ですものね。
さて、皆さんにとってのお正月はいかがでしたか。
24時間型支援事業に携わっている介護職にとっては、正月も盆も365日のうちの1日でしかないのですが、それでも年末年始は「いつもとは違う日」であり、その時間を利用者と一緒に過ごすのは「いつもと同じ」ではないことも間違いないのではないでしょうか。
僕も直接支援にあたっていた特養やグループホーム時代は、年末年始はほぼ事業所にいました。
つまり仕事をしていたということですが、グループホーム時代は、仕事をしているというより、「正月を迎える準備を一緒にして」「一緒に正月を迎えて」「おせち食って、初詣して、お正月を一緒に過ごしていた」って感じですね。
「今日はなんでこんなに御馳走なの?」
「お正月ですから」
「あら、そうだったわね」(実は全く憶えていませんでしたがね)
こんな会話を一日何度も繰り返しながら、おせち料理がなくなるまで「お正月ですから」を唱え続けていました。
初詣に行くと、そこは長年の生活習慣から、きちんとお賽銭を投げ入れ、手を合わせます。
「何をお願いされたんですか」
「な・い・しょ」
あとで再び聞いても、手を合わせたことすら憶えてはいませんでしたが、きっとお願いでははなく「感謝の意」を現わしていたように思います。
僕もそんな婆さんの姿を見て以降、初詣で手を合わせると、まずは「過ぎ去った一年ではありますが生きて過ごせたことに感謝」できるようになりました。
僕の年末年始は、ずっと掃除と洗濯の連続で、その合間に食事をして、初詣に行って、ちびっこたちの“あれこれ送迎をして“って感じでした。
ならばさぞかしきれいになったと思うでしょうが、これが意外にそうでもなくて、何に時間を費やしたか「?」ですね。
時間を要した一例をあげれば、一昨日の日中は旧い年賀状をシュレッダーにかけていましたが、その量はゴミ袋四袋分。年賀状10年分、総数3000枚以上。半分くらいしかできていませんが、シュレッダーのほうがくたびれていましたもんね。
旧い年賀状を見ていると人生を感じます。
「結婚しました」ってニコニコ顔の写真年賀状の二人ですが、すでに離婚。息子家族からきた年賀状の息子はすでに死にましたからね。
毎年贈られてくる年賀状10年分を並べると、赤ん坊だった子どもはすっかりお兄様・お姉さまになってますもんね。当たり前なんですが、驚きです。
また今日から、時間も曜日も関係ない生活に突入しますが、今年は自分自身、「仕事に追われる」から「仕事を追いかけまわす」に転換するのが僕の仕事と心得、一年を突っ走っていきます。
今年もよろしくお願いいたします。
写真
今年はオリンピックイヤー。昨年の大河ドラマ「いだてん」で紹介された戦前開催予定だった「東京オリンピック」は幻に終わりましたが、その時の「水泳場入場券」です。今年は32回目のようですが、東京市での開催は12回目だったんですね。
32回-12回=20回×4年に一度=80年も前の話とは、これまた驚きです。