和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
謝謝 ~2019 REVIEW~
今日は2019年12月30日。
残すところあと1日となりましたね。2019年ブログ最後の日です。
みなさんにとって今年はいかがでしたか。僕は「追われた一年」って感じでしたね。とにかく忙しかったぁ~
数えてはいませんが、自宅で寝ることが少なかったなぁって感じでしたし、家族で飯を食べる機会が少なかったように思います。
技能実習生受入れや日本語学校の設立でベトナムへ、注文をまちがえる料理店のカンヌ・ライオンズ(コンテスト)出品でフランスへ、国際セミナー出席で台湾へと、仕事がらみで海外へも数回行かせていただきました。
著名なクリエーターたちに交じって、介護福祉士の僕には場違いなコンテストでプレゼンをさせていただいたし、元SMAPメンバーも表彰された表彰式への出席なんていうのもありました。
1000人の教師・保護者たちを前に認知症を語った会もありました。
懸案だった仲間の墓参りも済ませることができました。
髪を切るところを変えたら髪型も変わりました。
M&Aで関係する会社が増えました。
オリンピックのチケットを連れ合いがゲット!
介護の仕事が人生の半分(64歳で32年)に到達!
地中海をクルージング、地中海で泳ぎました。
ネット「木曜和田劇場」で自分の講演姿を見て呆れました。
自分のタチの悪さに驚愕しました。
朝まで何度飲んだことでしょう。歌ったことでしょう。
大好きだった「50歳になる車」と別離。
ほぼ無縁だったスーツ姿が好きになりました。
ミカン収穫のボランティアに行きました。
沖縄パヤオでマグロを釣りあげました。
重要文化財の芝居小屋で講演会をしてもらいました。羽織袴姿で。
可愛がっていた猫が死に、ワンちゃんとして活き返りました。
強風さなかの鈴鹿F1グランプリでの「僕の仕事ぶり」がネット放流。
1300グラム脳に到達したちびっこが二人に。脳の成人ですね。
僕は生粋の「くじ運無者」、当たらなくてよい車の抽選に当たりました。
心の臓が苦しくなり調べたけど「毛」しか映っていませんでした。
今だから明かせますが、女性雑誌「週刊女性~人間ドキュメント~」の取材を受けました。生い立ちからの話であり、こっ恥ずかしくて、ごくわずかな方にしか言えませんでした(去年は、雑誌「サンデー毎日 ~阿木燿子の艶もたけなわ~」で作詞家の阿木さんと対談させていただきましたが、これもほぼ黙っていました)。
出会った人の数は何人いたでしょうかね。移動した距離は何キロだったんでしょう。飲んだ酒の量はどれほどだったか。
とにかく僕は人に恵まれていて、たくさんの方に支えてもらっていますが、一に家族、二にボスを筆頭にうちの職員さんや仲間たちです。
ひたすら皆さんに感謝・感謝です。
60歳を超えてから年齢を気にする僕に変質してしまいましたが、来年はいよいよ「高齢者」に突入します。
人には何が起こるかわかりませんが、確実にわかっている「死」を強く意識するようにもなりました。
高校2年生のときに、二年間思考した「終わるとは」「死とは」の答えが「人は必ず死ぬ、人生は終わる。ならば精いっぱいこの瞬間を・今を生きよう」でしたが、そのまんま65歳を迎えようとしているなんて、とっても不思議な感じがします。
来年2020年は、全国各地がオリンピックイヤーでにぎやかになりそうですが、僕も65歳を機に「第一回生前葬」を賑やかにできるうちにやりたいなぁ!なんて思っています。
ブログに目を通していただいている皆さん、いつもありがとう。
皆さんとっても2020年がステキな歳になるといいですね。また来年、どこかでお会いしましたら、声をかけてください。
では、よいお年を!