和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
魔法使い
とめさん(仮名)は「寝ていたい人」。
本人本意(意思や気持ち)だけで考えるなら「起きてくるまで寝てていい」となる。
とめさん、施設に入居するまでは家族と同居していたが、日中はひとりなので、自分の意思や気持ちにだけ添って時間を費やすことができた。そのため、家族のいない昼間は何もすることもなくウトウトし、家族が眠る時間帯に活動する状況になっていたのだ。
当然のように家族と生活リズムが合うはずもなく、家族の意向で嫌々デイサービスに行くようになり、その日だけは短時間眠れることもあったようだが、それとて週に二日(当時は措置の時代)。
デイサービスでどのような活動をしていたかは「?」だが、「夜寝て・朝起きる」という家族と同じ生活リズムまで取り戻すことはできず、夜な夜な起きてゴソゴソするものだから、家族にしたら「睡眠妨害者」となる。
家族は、親一人で育ててくれたとめさんに対して想いがあり、認知症になったが「何とか最期まで自宅で」と考えてはいたが、とめさんの睡眠妨害行動に耐え切れなくなり、かといって主治医に勧められた睡眠導入剤には手を出せず八方ふさがりに。
「このままでは自分たちがもたなくなる」
やむにやまれぬ気持ちで、自分の想いにも本人の意思や気持ちにも裏腹に、やむなく僕のところに入居させることにした。
僕は家族とは違う専門職、素人ではない。
その僕の仕事は、とめさんの意思に沿って「夜な夜な活動する姿を受けとめ、その姿を続けていただくこと」ではない。
同時に「寝かせつける」ことでもない。
寝かせつけるのなら薬物投与で簡単に成せるだろうが、それでは「僕は必要がない」ことになり、僕の生活支援専門職としてのプライドが許さない。
そう、僕の仕事は「夜眠りたくなるようにする・朝起きたくなるようにする・昼間眠りたくならないようにする」ことである。
24時間型入居系の介護施設が自宅と違うのは、24時間365日専門職しかいないということだ。
違う言い方をすれば「とめさんにかかわることでお金を稼ぐ人しかいない」ということだ。家族はいくらかかかわってもお金は出ていくだけで、介護施設と自宅では、ここが全く違う。
つまり、家族側からみれば「お金を使った分だけとめさんの生きる姿に違いがでなければ、使った意味がない」ということになる。
もちろん自分の手元からいなくなるのだから、睡眠妨害者がいなくなっただけでも使った意味はあると考えてよいが、それなら専門職でなくてもよい。現に介護保険制度は介護に「専門・技術職」を求めていないのだから。
そういう風に思考していくと、「本人の意思や気持ちに沿って」というのは、周りに共感を得やすい「この業界で好かれる言葉」だが、僕はそこに「専門・技術」を感じれないのだ。
「えっ、夜寝ているんですか」
「何か魔法でも使ったんですか」
家族からそう言われたとき、僕は自分の仕事の出来を感じる。
「そろそろ寝ます」
とめさんからその言葉がでたとき、僕の生活支援チームに誇りを感じる。
皆さんは、どうですか?
写真
台風で甚大な被害が出ています。被災された方にお見舞い申し上げます。
僕の仲間のグループホームも、二事業所が床上浸水となり、入居者避難を余儀なくされました。職員さんの自宅も2mほどの水につかるなどの被害が出ています。
2011年に結成した「災害支援法人ネットワーク」の会員が初めて被災し、支援活動を展開しました。
被災直後は「お掃除」に。お掃除が終わってグループホームに戻ってからは「人手で介護職員サポート」に泊まり込みで入っています。
東北大震災の時に、若き特養経営者が職員に「みんなも被災者、家や家族が心配だろうから帰っていいぞ。俺一人でも頑張るから」と伝えると10人の職員が残ってくれ、「最大の備えは人だ」って言ってくれました。
ホントにその通りで、北海道から沖縄まで散在する僕らのネットワーク会員が、「人・モノ」と自分たちのできることを最大限駆使して支援にあたってくれていますが、それもこれも人と人の関係があればこそです。
年2回集まって、学習もしていますが、ほぼ飲んで語っているだけの会。でもいざという時に頼れる会だということを実感できました。
「存在を感じられるだけで心強い」
そう思い合えたとしたら、それこそが「不幸中の幸い」だったかもしれません。