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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

ハノイで「介護カフェ」


 ベトナムの中心都市ハノイは、ピークを過ぎたとはいえ、かなり蒸し暑かったが、ハノイで活動する日本人も負けずに熱かった。

 僕の同僚がフェイスブックでつながり、前回渡航時に初めてお会いした土橋さんが、ハノイで「介護カフェ」なるものを開いていると聞き、「機会があえば是非参加したい」と意思表示すると、このたびの渡航に合わせて開催してくれた。

 土橋さんは、日本の特養で働いたのち、イギリスの老人ホームで働き、自らを世界に売り込んでベトナムの方に声をかけていただきハノイに来た介護職(介護福祉士)で、ハノイ市郊外の老人ホームで「介護技術指導」をしている。

 日本にいた頃に参加した「介護カフェ」という催しで刺激を受けた経験を基にハノイでの開催に至り、3か月に一度ハノイ市内の洒落たカフェの2階部分を借り切って開催している。もう4回目だそうだ。


 この日は、僕ら渡航組7人を含めて参加者は30名ほどだったが、いつもこれぐらいの規模のようで、どなたかが何かについて話し、それを受けて参加者でディスカッションしているとのこと。

 この日参加していた方は、日本人で日本で看護師をして現在はハノイのクリニックで看護指導をしている方、ベトナム人で日本で看護師を取得して現在はハノイで活動している方、日本人で現在はハノイで活動している理学療法士・学者・企業出向者・クリニック事務長・日本語学校講師、ベトナム人でEPAで介護福祉士を取得した方など、ハノイで活動する日本人や日本に関係しているベトナム人たちだ。いつもは国際協力機構(JICA)の方も着ているそうだ。

 ハノイに来ることになった経緯は人それぞれだろうが、日本からベトナムに来て医療や介護に携わろうとすることそのものにパワーを感じるし、実際熱い人たちだった。

 今回は、僕が参加することもあって「日本の介護とは」と「技能実習生の制度について」がテーマで、Tさんの問題提起、僕のコメント、参加者がグループに分かれてのディスカッションと、短い時間に詰め込んだこともあって深められないまま終わった感は否めないが、二次会も含め、異国で活動する人たちにとってのこの時間は「情報交換の貴重な場」というようなビジネスちっくな話ではなく、「至福の時間」なんじゃないかなと思った。

 ベトナムの看護師は、学校はあるが資格制度はない。介護に至っては概念そのものがなく、老人ホームで働いている人たちの多くは看護師学校の卒業者だそうで、土橋さんは「注射もできない介護指導者」ってことになるそうだが、日本での経験や感じた矛盾をもって、より良くするために奮闘している。
日本のようにすぐれたオムツ類はなく、自助具や介護用具もない。あったとしても「高価でどうにもならない」状況の中での「より良く」は思う以上に困難さがあるようだが、持ち前の「熱さ」で突き進めているように思えたし、最後は「人柄」が人を動かしているんじゃないかなと思った。
結局人と人は、言葉じゃなく人柄かも。

 ちなみにいわゆる福祉用品・用具は台湾製が多いようだが、聞いていると、介護の技術指導者等も台湾で実践を積んだ人が多いように思う。

 ここがまた課題で、まだまだベトナムの介護は「世話」の領域で、できることもできないことも「してあげること」が主流だが、それはベトナムだけの話ではなく世界的に「介護」の概念を確立せねばならない時である。


 2050年には地球の北半球は高齢社会に突入するといわれている。中国だけでも65歳以上人口は3億5000万人になる。今、国の平均年齢30歳のベトナムも人口の三分の一が高齢者になるのだから。(写真「40年後のベトナムは日本と同じ 40年遅れでやってくる」を表したグラフ)

 次回ハノイで介護カフェに参加できるときは「闘論」をやりたい。

追伸

日本の祭りも熱い!!