和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
ふたつの「事故」
介護施設における利用者の事故には大きく分けて「二種」ある。
ひとつは、介護計画に基づくなど、とるべき手立てをとることになっていたにもかかわらず怠って起こしてしまった事故ならびに、計画化や予測はできていなかったものの「防ぎようのあった事故(以下、防げる事故)」であり、もうひとつはどうやっても「防げないといえる事故(以下、防げない事故)」である。
防げる事故は、例えば介護技術の未熟によって移乗の際に気をつけるべきところに気をつけずケガをさせてしまった事故や、利用者に付き添うことになっていたにもかかわらず傍を離れて転倒させてしまった事故などがあり、これは「介護事故」といわれても致し方ない。
防げない事故は、例えば利用者一人ひとりに24時間体制で一人の職員が付き添っていない現状の中で起こる事故であり、典型として夜間帯における不測の行動による居室内の転倒事故がある。
これは介護事業における「構造事故」とでもいうべきもので、事業所や職員に責を問われても如何ともしがたい事故である。
事故を分析すると、大きくは「防げた事故」と「防げなかった事故」の二種になるが、利用者家族から見れば「事故を起こされた」ということに違いはなく、「介護事業者として事故の責任は負うべきでしょ」となりかねない。
事業者としてこうしたことを想定し、利用前に説明し同意を得ていたとしても、いざ事故が起こると「利用中の事故なのだから、何んとかしてよ」となってしまいがちだ。
そうなると事業者としては、いかなる事故をも防ごうとするため、結果的に利用者の行動を制限する手立てなど「防衛」に走ってしまいかねない。
利用者が自分でできるようにという支援策はリスクが高すぎるから取り組もうとしなくなるだろうし、利用者が椅子から立ち上がろうとすると「危ないですから座っていてください」となるだろうし、そもそも立ち上がれないように工夫を凝らすことだって起こりかねない。
行動を応援するはずのセンサーマットも行動制限のリスク管理マットにしてしまうだろうし、度を越せば合法的に薬物によって動けなくしてしまうことだって起こりかねない。
安全優先の御旗のもと「行動の制限」が、人権を飛び越したおかしな人権意識のもとで起こってしまう。しかも、行動制限よりも事故のほうが行政指導等で取りざたされれば尚更だ。
ではどうすればよいか。
これはひたすら利用者側と話し込むしかないのではないか。利用前から利用後のあらゆる機会を通して「防げない事故が起こる」ことについて説明することしか、僕ら事業者にとってやりようがないように思っている。
先日も「防げない事故」に対して説明をしたが利用者家族には疑問が残り、職員さんから「どうしたらよいでしょうか」と相談を受けたので、それは「より説明するしかない」と言うしかなく、相談してきた側も「それしかない」ことはわかっていて相談してきているので、気を取り直して重ねて説明したそうだ。
結果的には「理解を得られた」と報告を受けたが、モノの言い方・伝え方も含めて見直しながら、誠心誠意実情を説明するしか手がないだろう。
あと僕ら専門職としてしなければならない大事なことは「防げない事故と言いきれるかどうか」の事故分析である。
利用者Aさんは移動能力なく全介助。
利用者Bさんは立ち上がり不安定。見守りや少し支えが必要。
この二つの介護計画に対して職員は一人。
Aさんのトイレ介助中にBさんが居室にて転倒・骨折。
事故報告を受けた者は、「Aさんの介助中にBさんが行動しようとすることは当然予測できていたが、いくら予測してもAさんの介助中は手の打ちようがなかった」と言われれば、「しょうがないわな」となってしまいがちな事故である。
その昔なら、Bさんをベッドに縛り付けて動けなくしてしまうとか、ベッドを壁と柵で囲んで行動できないようにするといったように、事業者都合の乱暴な策を講じたであろうが、今は別の面で咎められ万事休すだ。どう考えても「防げない・防ぎようがない」ように見える。
僕もそのとおりだと思うが、もう少し丁寧に分析すると、まだやれることがあったのではないかと思った。
それは、Bさんの立ち上がろうとする確率を下げる手立てだ。
つまり、Aさんの全介助に入る前にBさんのもとに行き、まずはBさんが立ち上がろうとする理由をことごとく消してからAさんの全介助に入るということだ。
居室内の事故だって手の打ちようがないように思いがちだが、本人の行動特性を把握して、ベッドの位置や箪笥の位置を変えることで見栄えは悪くなったが転倒事故がなくなった経験もある。
一見「防ぎようのない事故=構造事故」でスルーしてしまいがちな事故も、「完全には防げなくとも確率は下げられる」ところまで追求してこそ「防げない事故」と言えるのではないかと僕は思っている。
いずれの事故も、事故は誰も望んではいないし、事故はどんな原因による事故であれ「ゼロ」が良いに決まっているが、その向こう側で事故を恐れるばかりに、自力で歩ける人が歩けなくなったとき「これで転倒がなくなった」とホッとする介護現場になってやしないか危惧している仲間は、全国各地にたくさんいるのではないか。
国民の社会的到達点である「施策による構造的な事故は致し方ない」と国民に言ってくれる国のリーダーが出てこない中で、介護現場のスタッフだけがもがいているのは、何んとも歯がゆくてしょうがない。
写真
カンヌのお店の、いわゆる「障害者用トイレ」のサイン。
ところ変われば品変わるですが、このお店の建物は古くからのもので扉は木製、そのトイレの中も日本の「誰でもトイレ」とは打って変わって簡素な造りでした。
こちらは、ピカソ美術館の「トイレ・サイン」です。ピカソの絵は理解できなくても、これはわかりやすいですね。