和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
つぶやき
愛車を手放した。
手放すのは理由(わけ)あってのこと。
手放す日が近づくにつれ「手放したくない」気持ちがむくむく起き上がってきたが、大人の事情なので呑み込んで過ごした。
うちのちびっ子たちも車の名前に「ちゃん」をつけて呼ぶほど愛しく思ってくれていたが、中でも一番下四歳のちびは、「今日は○ちゃんで幼稚園に行く」とか、お迎えに行くと「○ちゃんで来た」って言うほど愛おしそうに語ってくれていた。
いよいよ引き取りに来たその日、たまたま家にいた一番下のちびは、僕が車のことで相手と話をしている間中神妙な顔つきをしていたが、相手が車に乗り込んだ頃から、普段見たこともない大きな声で号泣しだした。
車が去った後も、しばらく泣きやむことはなかった。
あれから20日ほど経った今でも「○ちゃんは、帰ってこないの」って寂しそうに聞いてくる。
チビの中で存在しているのに姿が見えないからだろう。
グループホームに入居していたトメさん(仮名)が、グループホームで息を引き取るとき、職員さんたちは「トメさん、トメさん」と声をかけてくれたが、その職員さんたちに息子さんは、「もう、そっと寝かしてやってください」と声をかけたそうだ。
しばらくして息子さんに会うと、「人生の最終版、皆さんに会ってオフクロは幸せな数年間を過ごせたと思うし、自分もやりきれて悔みは一切ない。だから悲しみはないけど、寂しいね、居ないって」って、目に涙を浮かべて語ってくれた。
看取り期の話をするとき、いつもこのことを思う。
看取り期だから「最期にこうしてやりたい、ああしてやりたい」と思うのは尊いことだとは思うが、その前から一生懸命かかわらせてもらうことこそ、僕ら「人生を応援する職業人」として大切なことだと。
認知症で動き回っていた頃は「大変だな」と思い、動けなくなったときにホッとするようでは職業人とは言えないのではないか。
ある職員さんが、動けなくなった○さんを目の前にして「あの頃の○さんに戻ってほしい」って泣いたことがあったが、そう思える職業人がたくさん必要だろう。
手間暇かかるのが認知症だとしたら、手間暇かけるのが支援する僕らの社会的務め。
一生懸命、自分の脳と身体をつかって手間暇かけている職員さんたちを見ると「ステキだな」「大事にされているな」って誰もに思ってもらえるのではないか。
僕の車も、僕ら家族が大事にしてきたからこそ、ちびの号泣だったんだろうし、それはモノでも生き物でも人でも同じことなんだろうと思う。
四十九日の法要は、悲しみに一区切りつけて、残された者たちが元気出して生きていこうという節目のためにあるそうだが、何ともステキな節目の日である。
さぁ、元気出して生きていくぞ!
写真
ペットも受難の時代ですね。
あるホームセンターに行ってふと見るとこの光景が。知ってはいましたが目の目にしてびっくり。
ペットも長生きできるようになって認知症が出るし、運動不足で糖尿病にはなるし、人と同じように現代社会の難を抱えるんですよね。