和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
70億分の1=1分の1
人は生きて必ず死ぬ
毎日産まれてくる人がいれば、死ぬ人がいる
日本で毎日3000人以上、世界で15万人以上が亡くなっているそうだが、そんなこと考えて生きることは1秒たりともないのに、70億人分のたった一人でも、かけがえのない人の死は、「分」や「日」どころじゃなく「年」にわたって引きずり生きていく
それどころじゃない、後を追うように命を落とす人、寿命が縮んだんじゃないかと思える人もいるほどの影響を及ぼす
人の価値は同じだが、人への想いは同じじゃない
70億分の1=1分の1なのだ
僕にとってかけがえのない人が死んだ
身内じゃないけど家族、父親じゃないけど親父さん
僕にとって家族の死は、「実」「義理」「親」「子」合わせて何人もいるが、いちばん身近で影響力のある家族の死、実の親以上の人の死である
人の死は悲しくはないけど「精神的に身近な人」の死は寂しい
居なくなっても存在はするが、姿を見ることも、声を聞くことも、意見を闘わすことも居なけりゃ成立しない
居なくなって初めて在ることに気づく、それが寂しさなのかもしれない
どんどん居ないことを実感してくるだろうから、寂しさは募るばかりかもしれない。傍に居た身内はなおさらだろう
ありとあらゆることが未知の世界・初めての経験で、思えば思うほど、語れば語るほど「かもしれない・だろうばかり」なのだが、これも多くの人が通過することと思えば心配ない。はずである
読者の皆さんには何の関係もない話で迷惑なことだろうが、おつき合いくだされ。こうやって書くことでおさめたいのだ。
人の「在る」は永遠だとしても「居る」はひととき
宇宙の時間軸で言えば「自分が居るひととき」なんてほんの一瞬でしかないが、その一瞬に出会える自分以外の他人は宇宙的規模で見れば「瞬にさえほぼ届かない超貴重な存在」である
その出会いを超貴重な出会いだと見れば、世の中ちがった風に見えてくるから面白い。ネガティブという概念すら消え失せるだろう
だから「マイナスもプラス」なのだ
親父さんとの出会いは「居る」もあれば、当然のように「居ない」もあり、居ないからといって出会いが消えるわけではなく在り続ける。
だから「プラスもマイナスも」である
親父さんとのつきあいは、まだまだ続く
そう思える・そう思いたい人、だから「かけがえがない人」って思うのかも
合掌
追伸
毎年恒例の五島にはせ参じました。
今回はいつもより長めの滞在でした。もう10年になりますが、10年目の今年は激変した感をもちました。
町の景色はそう変わっていませんが、ある法人幹部は突然退職して「おでん居酒屋」を開業していましたし、ある法人社長は廃業を決めました。深刻な人手不足です。又あるヤツは、船舶航海士から漁師見習いの道に進んでいました。
海の景色も変わっていませんでしたが、釣れた魚はいつもと全く違っていました。この時期の売れっ子「桜鯛」にほとんど出会わなかったですものね。海水温が例年より1.5度低いとか。
人生いろいろ、ほんといろいろですね。
教会群が世界遺産に登録された新上五島町に行かれましたら、ぜひ「伊勢屋」という小さな「おでん居酒屋」を探し求めて訪ねてやってくださいな。五島にまつわるいろんなことを教えてもらえますよ。町のよろず情報源、新上五島町の社会福祉協議会を訪ねれば場所はすぐに教えてくださいます。
この時期、五島の桜鯛を心待ちしてくれていた親父さんに何とか届けたいと思っていたところ、親父さんが引き寄せたんでしょうね、一発目にメスのきれいな桜鯛がヒットしました。二日間で二匹しか釣れなかった虎の子の桜鯛でした。それを無事、仏前に届けることができました。
今年も「美味い!」って言ってくれていることでしょう。
それにしても変な天気でしたね。先々週のハノイも、先週の長崎も想定外に寒かったです。
写真
時として、同じでも同じじゃないことがありますよね。 海から島を見ていると、偶然その場所に気づいたのですが、手前の島のくぼみに、その向こう側の島の向こう側の高いところが重なって写真のように面白い景色になりました。 写メの解像度がよくないので雰囲気程度しか伝えられませんが、幻想的でしたよ。