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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

山間地にて


 今日は台風21号本土上陸の日。外は荒れ荒れの天気です。

 実は昨日(3日)、早朝に家を出て中国地方の山中「東城町小奴可」というところへ旅立ちました。

 目的は「3日4日の催しに出席」することでしたが、台風により今日4日の取り組みが中止になったのと、ならば帰れるうちに名古屋(自宅)に戻ろうということになり、日帰りとなりました。

 ひとことで日帰りとは書きましたが、自宅から名古屋駅まで30分、名古屋駅から広島駅まで150分、広島駅から庄原市中心地まで80分、そこから目的地まで60分。都合320分・約5時間半かけて到着した「小奴可」ですから、移動だけで正味11時間を要したってことです。

 でも遠くへ来たかいがありました。
 標高600㍍の山間地小奴可で見た光景は、例年よりも10日ばかり早く熟したコシヒカリ米の田んぼ。
 雲に太陽が隠れているときから陽がさし始める瞬間、陽がさしたところから稲穂が黄金色に染まり、やがて黄金色の絨毯になっていくのですが、あまりに美しいので、涙がちょちょびれました。


 道中にあった昭和32年廃校となった「小学校分校跡」です。今でも校舎は何かに使われているようです。

 廃校の新たな活用策や空家バンクといった取り組みも始まっていますが、基本的に「生きていくために欠かせないお金を得るための手段=業」が少ない山間地域では、高齢化と後継者不在の人口減少で、地元の人が「限界集落は過去の話」と言うように、もはや崩壊してきています。

 それをあれこれ言うのは簡単でしょうが、そもそも、それに「打つ手=策」が必要なのかどうか、日本の「国土保全」や「主権国家の存亡」といったところから議論して合意形成していかないと、「地方の課題」で終わってしまいかねません。そうなれば大問題です。

 東京に住む者、名古屋に住む僕にとって、この山間地がどれほど重要なのかを思い知らない限り「他人事」で終わってしまうでしょう。離島も同じです。

 僕がこの山間地に何年も通わせていただくのも、隠岐島や五島に通うのも、僕の中に「何か」が通っているのかもしれないですね。


 また何でそんな遠いところへ?

 はい、社会福祉協議会が取り組んでいる住民向け講座(栄養、健康体操、認知症予防の三本立て)のお手伝いです。

 写真にある「あしたのカフェ」は、庄原市比和町の地元の人たちで構成している会で、8月に行かせていただいたこの町の講座では、会が独自に作った紙芝居を上演されました。

 こういうのに出会うと、ほんと嬉しくなりますね。僕がどこで何をしていようが、この山中の街で、こういう取り組みがされていることに感動します。


 これは大事!!

 歩いて行ける所に商店がない地域では、車に乗れなくなる=移動に不自由さがきたすと途端に生活困難になってしまいますが、こういうモノがあると閉じこもらなくなっていいですね。

 配達も悪くはないですが、かえって「閉じこもり増幅策」になりかねませんからね。やっぱ二足歩行の僕らは「おでかけ」でしょ。

 通所介護での活動内容も、こうした日常生活を支える事業内容推進へ変わってもらいたいものです。


 小奴可にはJR芸備線の駅があります。
 昭和を代表するかのような佇まいでしょ。

 円筒型の郵便ポスト、電話ボックス、テレホンカード販売所の看板(左のオレンジのモノ)と昭和グッズが揃っていますものね。
 ただ残念なことに「先の水害」によりこの地域は未だ運転休止のままで、線路上にはペンペン草が増殖しているありさまでした。

 前にお伝えした、水害でやられて復旧していない北海道日高本線の二の舞にならなければよいのですが、何せ1日上下線で6本しか走っていないですからね。どうなることやら。


 皆さんは見たことありますか?「白いナス」
 庄原市で最も標高の高い高野の道の駅で見つけました。広島には「ソーメンかぼちゃ」というものもあるようですが、まだ食していません。


 手前で色づいているのはイネで、向こう側の緑はヒエ。
 その向こう側山肌が崩れていますが、水害によるもので、イネがやられ、やられた後に強いヒエが群生している状況です。

 ここは知人のお宅の田んぼですが、大雨のあと、犬の散歩に出かけている最中に谷が崩れ落ち、土砂が田んぼに流れ込んだそうです。

 幸いになぎ倒された木々が自宅(写真の右側に自宅が建っている)に平行に流れてきたので助かったようですが、生活の基盤である田んぼの8割を失ったようです。

 本来ならば今頃は、手前のイネもこれ以上に穂が実り、崩れた山肌まで続く田んぼは黄金色に染まっていたことでしょう。

 田んぼは何年かかっても再開させるそうで、先祖代々受け継いできたことを止められないと言っていたのが印象的で、失礼ながらカッコ良かったです。
 僕なんて先祖代々受け継いでいるのは「血」くらいなものですからね。

 ブログを書いているうちに台風がかなり近づいてきたようで、外は暴風雨が吹き荒れています。すさまじい風です。

 あれま、大きな音がしたと思ったらベランダの植木が倒れた!!!

 では、また来週。お気をつけて…。