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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

まだ? もう?


 テレビから聞こえてきた「まだ、90歳と五か月です」
 90歳を超えて「まだ」と言えるのには恐れ入りましたが、「そういや」という話を思い出しました。

 国鉄に在籍している時、お昼ご飯を食べに事業所の食堂で行列に並んでいると、定年退職を前にした先輩が、「もう、55歳になるわ」と20歳代の僕に嘆いたのですが、それを聞いた大先輩は「55歳? この若造が。まだまだ」と大きな声でたしなめた。

 大先輩は70歳くらいだったと思いますが、70歳の大先輩が「もう、70だよ」と言えば、「まだ90歳」と言っている人は「70歳? この若造が。まだまだ」とたしなめるんでしょうね。

 中学3年生から高校2年生の二年間、「世の中で絶対と言えるものは何か」と考えた時、僕は「死」つまり時間だと思ったのですが、同時に「死」を考えた時、「人は必ず死ぬ」ということがわかり、後々考えた時、その後の僕の人生の舵を大きく切った瞬間でもありました。

 人生の残り時間は、客観的には『最大寿命(115年~120年)-実年齢』がマックスで、最も少ないのは「次の瞬間に死ぬ」ということになりますが、いずれにしてもその絶対的な残り時間を「もう」と考えるか「まだ」と考えるかで、まるで別物のように思えるのではないでしょうか。

 平たくいえば、どう考えようが残り時間に変わりはないのでしょうが、かなり違ってくるような気がします。

 認知症の状態にある高齢者の方々と関わらせていただいて思うのは、「まだ」も「もう」もなく今を生きている姿に心打たれ、自分の励みになるということで、僕も今を一生懸命生きようと奮い立つことがあるということです。

 僕も60歳を超え「まだ」も「もう」も考えることもなく今を生きようとしているのですが、それは単なる「つもり」で、どこかで「まだ」か「もう」で思考しているところがあるのでしょうね。
 だから「まだ90歳と五か月」に魅かれ、こうして改めて文字にしているんでしょう。

 皆さんは「まだ」と考えるほうですか? 「もう」と考えるほうですか? 「まだ」も「もう」もなく「いま」と考えるほうですか?

 あっちこっち揺れ動きながらも、確実に年齢を重ねている僕です。

写真

 福島県須賀川市はウルトラマンの町。

 円谷監督の故郷ですが、2011年東北大震災の前に須賀川市の「このメイン通り」を訪ね、震災の直後に訪ね、先日訪ねたのですが、写真のように筋肉質でステキな身体を闇夜に浮かび上がらせていました。

 あの震災で赤紙が貼られた建物が並ぶ須賀川市の街並みを目にしてから「もう7年」。でも、まだ福島県は被災地ですが、確実に街並みも、人の生きようとする逞しい姿も取り戻しているように思えました。

 それにしてもウルトラセブンの「ケツ」は引きしまってるなぁ。かつての僕なら負けてなかったけど、取り戻せるものなら取り戻したいわ。