和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
改めて噛みしめた「事のでかさ」
大熊町
その町の名を聞いて「原子力発電所事故」と結び付けられる人は、どれくらいいるでしょうか。
事故前の人口は11.500人だったそうですが、現在は8.000人が県内各地に、3.500人が県外に移り住み、今やゴーストタウンと化していました。
先週末、福島県社会福祉士会の取り組みに特別に混ぜていただいて「災害支援法人ネットワーク(通称:おせっかいネット 2011年結成)」の仲間たちと大熊町を視察(災害支援法人ネットワーク福島学習交流会)させていただきました。
町の中は中間貯蔵施設建設で整備されたところ以外は、震災時からそのままの状態で放置されていました。
写真を撮った場所は、デイサービスやグループホームなど複合施設の敷地からで、そこは高台だったので津波の被害はなかったですし、地震による決定的な被害も受けていなかったように見えましたし、7年も経った今ならば、事業を再開していても不思議ではない状態のように思えましたが、写真でわかるように、そこから毎日のように目にしてきた原子力発電所(下記 写真)によって再起不能に陥らされていました。
原子力発電に対して肯定・否定の「どちら派」でも、大熊町の今の光景を見れば「恐るべし原子力発電」だけは感じられることでしょう。
かつて東京の「臨海副都心:埋立地」で世界都市博覧会を中止にする公約を掲げた知事が当選し、会場予定地だった広大な埋立地の活用について様々に声を上げた人がいたかと思いますが、「都心に近くて効率が良いから原子力発電所を誘致してはどうか」という声は聞こえてこなかったし、仮にあのとき誘致して、この規模の大震災を受けていたらどんなことになっていたのかを想像すると、恐ろしくなりました。
つまり、その話が出なかったことに原子力発電の素顔が垣間見えるということであり、危うさがあるということが、今回の大熊町(以前行かせていただいた浪江町)を視察させていただいて、僕にはそう思えました。
ちなみに避難指示が出ても避難場所が確定できず右往左往した特養入所者80名の話を聞かせてもらいましたが、そこに学ぶべきことがあると思いました。
仮に首都直下型地震が起こって介護施設から避難が必要になったとき、自分のところの入所者だけを考えてもどこに避難すればいいのか…。
大パニックが起こることは予測できますが、予測に対する策が思い描けないし、思い描いた策通りに事が進まないことも予測はできるのですが、その時に次の策も思い描けないというのが現状で、「そこに学びがもてた」ということです。
またこのたびの視察で、改めて原子力発電は「コストパフォーマンスが低く、リスクは高いなぁ」「背負うものがデカ過ぎるなぁ」と感じましたし、各地の原子力発電所再稼働がニュースになっていますが、所在地域の自治体や住民の意思だけではなく、国民の意思を確認してすすめるべきではないかと思いますね。僕の納税金もたっぷり使われるのですから。
僕にとっては、自社研修で年3回(災害関連研修を3回実施し3回とも参加するため)、災害支援法人ネットワークで年2回、都合年5回は「災害」について考える時間をいただけているので、予測して備えることの大切さを噛みしめることができますが、国民の多くは「のど元過ぎれば」になってしまうし、それが人間。そのことは責められないことでもあります。
せめて、国民の多くが組織されている各企業、各町内、各学校、各研修会など「人の集まり」において、年1回でも2回でも「災害」や「事故」について考える・準備することの大切さに触れる機会を強制的に設けて、自覚を喚起させるべきでしょね。
僕も自社の事業統括責任者として、防災訓練、備蓄管理、非常時対応策などが形骸化・一応主義化しないように気を引き締めていかねばです。
合わせて、被災直後はやっていたのに薄れてきたことを実感したので、改めて自分が話す研修会等で少しの時間でも触れるようにしようと思いました。
写真
僕の携帯電話が使えなかったしカメラを持参しなかったので、仲間が撮影した写真を借りました。鉄塔のようにそびえているのが原子力発電所ですね。
あちこちの民家に、火事場泥棒とイノシシとネズミが入り放題で、現地の方の「泥棒さん、入ってもいいけど戸は締めていってね、動物の巣になるから。そう思えるようになれました。」というジョークが妙に切なかったです。