和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
-
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
「そもそも」から改めて考えるわ
認知症という状態にあるトメさん(仮名)に、ある「事」(仮に料理教室に参加とする)をお願いすると、快く引き受けてくれた。
トメさんにとってその「事」がとても楽しかったようなのだが…。
かつてトメさんの暮らしの中で楽しかったと思われる「事」(仮にテニスとする)と、今回の「事」(料理教室)はまったく違う事なのだが、脳に疾患がくっついたトメさんの頭の中では「同じ事」になったようで、同居している家族に、かつて楽しかった「テニスをしてきた。とても楽しかった」と、繰り返し・繰り返し話したそうだ。
これだけの話なら、「料理教室」に参加したことが、かつて楽しかったテニスと重なって思い起こすことができ、そのことで気分が高揚できたことは、認知症の状態にあるトメさんにとって、とてもよかったという話なのだが、人と人の関係となると、そんな簡単な話で片づけられない複雑さを内包していたりするから厄介だ。
つまりトメさんにとって「かつて楽しかった事」が、同居している家族にとって「イコール楽しかった事」ではなく、むしろ「思い出したくもないつらかったこと」だったようで、それをその日から毎日繰り返し話されることで滅入ってしまい、離れている家族も同居している家族を思って「トメさんを家に置いておけない」という話になり、どこでもいいから入れられる施設を探す話になってしまったのだ。
トメさんにとってとても楽しかったであろう「事」が、結果的にトメさんにとって、人生最大の不本意な結果(自宅から出される)を招くかもしれないのだ。
これをどう考えるか。
例えば、久しぶりの同窓会で出会った同級生と再会し、かつての想いや関係性を思い起こし、今の暮らしを投げうつことになった人もいるだろう。
「トメさんの楽しかったこと=同居家族の辛かったこと」なんていう構図は、夫婦であれ、恋人関係であれ、親子であれ、同僚であれ、何であれ、人と人の関係においては山のようにある話で、それこそ「人が人との関係性の中で生きている」ということに他ならず、認知症という状態でなくてもふつうによくある話だ。
自分にもしょっちゅうある。
トメさんを通して改めて、そもそも「人が人として生きることを支援することとは」を考えてみたい。
写真
この季節、頼みもしないのに町のいたるところで「グリーン化」が始まります。
かつて所属したグループホームの空き地にもグリーン化は例外なく押し寄せてきたので、婆さんに聞いてみました。
「草むしりを専門家に頼むとお金がかかるけど、どうします」
「お金がないので、やらせていただきます」
「もったいない。みんなでやるわよ」
ということで、皆さんご一緒に、ひと仕事しているところです。
かつて研修会でこういう姿を見ていただくと、
「お年寄りにさせるなんて」
「職員がサボってるだけじゃん」
「虐待だ」
なんて噛みつかれましたが、僕の大嫌いな「自立支援」なんていう言葉が聞かれるようになってからは、言われなくなりました。
妙に大人びた感じがして、さびしいですね。