和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
あれから六年感
一昨日は、2011年東北大震災直後に自分たちで立ち上げた、災害時に頼まれもしないのに駆けつける「災害支援法人ネットワーク:通称おせっかいネット」の学習交流会で宮城県に出向きました。
名古屋から仙台まで高速道路網が整備されたことでルートの幅が広がりましたが、それをうちの職員さんに実感してもらいたくて、700キロクルマ移動をしました。
おせっかいネットは北海道から九州まで19法人で構成していて、年2回学習交流会を構成メンバーの地元県で開催しています。
僕はこの記事を繰り返しアップさせていただいていますが、それは「災害」を風化させない意味合いも込めてのことなので、「またこの話」と思われる方もいるでしょうが勘弁してください。
阪神淡路大震災や東北大震災を報道等で目にしたとき「あいつ、どうしてるかな」と、すぐに友人知人のことを描きました。
東北大震災のときはすぐに福島までは駆けつけさせていただいたのですが、数日間支援活動をして自宅に戻るときにふと「被災者になった時に自分や自分たちを描いてくれる人が何人いるだろうか」「描いてはくれても駆けつけてくれる人がいるだろうか」と思いました。
それをきっかけに仲間に呼びかけて準備会をもち、2011年8月、長崎県佐世保市で発足総会を10法人で行い、その後仲間が増えて19法人となり、ともに学び遊び合う中で、すっかり「仲間の顔と事業の場所」を描き合える関係が出来上がってきました。
今回は宮城県内の被災地域を視察させていただきました。
僕が思ったのは、誤解を生むことを承知で書かせていただくと、30年も経てば「過去のこと」になれるだろう地域はまだましで、福島のように30年たっても「今のこと」であり続けるだろう地域は悲惨だなと。
東北大震災では、かつて被害を受けた地域だから住んじゃならんと先人から警告を受けたにもかかわらず「便利」を求めてそれを侵し、原子力発電もその時の豊かさを求めて「未知」に突っ込んだ結果ともいえ、人間の「欲」が被害を増幅させてしまったのかなと。
僕は「欲」は大事だと思っていますが、「欲には致命的リスクはつきもの」だということを忘れないようにしないといけないなと思いました。
被災地を訪ねさせていただいただけではなく、鹽竈神社にも参拝させていただきました。
男坂と呼ばれる参道は202段の階段があり、誰から言われたわけでもないのですが、そういうものを見ると行きたくなる・関わりたくなる性がムクムクと起き上がり、オトコ四人、一気に駆け下って、一気に上りました。都合404段の駆け下り・駆け上がりでした。
おかけで二日後の今日は「やや筋肉痛」です。ハハハ
次回は秋に大分県で開催ですが、1年前、開催直前に熊本地震が起こり、延期してきた経緯があります。
いつ・どこで・なにが起こるかわからない日本列島ですが、できることは備えることくらいなもの。
しっかり備えましょうね。
追伸
ミサイルが日本に飛んでくる。
僕の人生知る限りでは、それがこれほどリアルに語られた時代はなかったのですが、それほど北朝鮮の力が上がったってことなんでしょうね。
おせっかいネットには米軍基地の町・佐世保市の仲間がいて、仙台に来る前に「ミサイルが飛んできて被害が出たらおせっかいの人たちは来てくれるんでしょうか」「いや、来てもらっても壊滅しているでしょ」「化学兵器で入れないでしょう」といった会話になっていたと話していました。
備えたくても自分たちでは備えようがない事態です。恐ろしい時代に突入しました。
写真
友人が立ち上げたグループホーム近辺を歩いていたら、まぁステキな景色に出会えました。
ガラ系携帯電話ではなかなか思うようにはいきませんが、どうですか?
ウロウロきょろきょろして、少し角度を変えて世の中を見ようとすると、そうしないと見えない景色が見えてくるんですよ。
ウロウロキョロキョロって介護の仕事でも、とっても大事な「キー」なんですよね。