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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

ありがとう


 グループホーム開設から13年間生活を送られてきたせつこさん(仮名)が亡くなられたと、夜中に一報を受けた。

 13年前の4月4日に入居され、13年後の4月4日に亡くなられたのも何かを感じさせられるが、僕が直接入居相談を受けて面談を行い、名古屋在住の僕がたまたま東京に来ていた時に亡くなられたということ、最後のご挨拶にうかがえる時間が取れる日だったこと、そして何よりその日の夜勤者が僕の連絡先を知っているリーダー職員で、駆けつけたせつこさんのご家族が僕の話をしてくれたことに気を利かしてメールで知らせてくれたからこそ「最後のご挨拶に行こう」という気になったことまで思うと、せつこさんとは不思議なご縁を感じる。

 この日のリーダーは12年前に入社したときは「夜勤は怖いのでできません」と言っていた女子だったが、こうして夜勤中の一人勤務で慌てることもなく「せつこさんの死」を受け止められ、自分が夜勤のときに亡くなったことに感謝できていた姿に触れると、ただただ亡くなられた婆さんに手を合わせ「ありがとうございました」としか言葉が出てこない。

 婆さんに学び 婆さんに還す

 ずっとこの言葉を大事にしてきたが、まさに僕らは婆さんにかかわらせていただくことで婆さんから多種多様なことを学び、このリーダーのように、それを婆さんに還してこそ為る仕事である。

 人の死に接することを怖がる介護職員もいるが、それはふつうのことだと思うし、僕はそのふつうのことを大事にしてもらいたいと思っており、逆に人の死を平気になられたら、そっちのほうが怖い。

 ただ怖がる介護職員たちに知ってほしいと思うのは「せつこさんの死」は「人の死とは違う知人せつこさんのお見送り」ってことだ。

 人の死に接するのは僕だって怖い。
 いきなり町を歩いていて死体に出会ったら「ギャーっ」って奇声を発するかもしれない。
 でも、共に生きてきた知人の死は一般的な人の死とは違うはず。しかも80歳からお付き合いさせていただいた13年後の死であればなおさらである。

 こうして「知人のお見送り」に接していくことで介護職員としての「できること」を増やしていけるだけでなく、自分自身が人として「生きることの意味」を感じさせてもらえるのではないかと思うが、だとしたら貴重な経験をさせていただいたということで、こんなお見送りの体験ができる介護職員はそうはいないだろうことを思えば、ありがたいことである。

 このリーダーは、いつからかそう思えるようになり、そう口に出せるようになり、人にその素晴らしい体験を嬉しそうに話せるようになったことが、せつこさんの顔に現われていたような気がする。

 せつこさんの死に顔は、とてもきれいだった。

 こんなステキな介護職員=人生の応援団を増やしていかねばである。

追伸1

 厚生労働大臣に提出された「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会 報告書」(HP参照)で、医師・看護師等だけではなく、超高齢社会を踏まえて、医師等の調査と同様に10万人規模の大規模な「介護従事者の働き方調査」を実施すべきと謳われたが、報告を受けた厚生労働省は介護従事者の勤務状況などについて大規模な実態調査に乗り出す方針を決めたと報道されていた。
 調査の仕方や信憑性がどうだ・こうだといった外野の話も聞こえてきそうな感じだが、何をするにしても「実態把握」がなければ話にならないので実施してもらいたいと思うし、そもそも介護保険制度がスタートして17年にもなるのに「把握しないままに介護報酬を決めていた・人員配置基準など制度の根幹を決めてきた」ことを国民の皆さんには驚いてもらいたいものだ。

追伸2

 「あなた、これどうしましょうか」
 「全部、捨てよう」
 「捨てるなら、ご自分で捨ててくださいね」
 「なんで。捨てといてくれていいよ」
 「いやですよ。捨ててあとで困るのは私ですからね」
 「なんで」
 「だって、『これはどこへやった・あれはどこへやった』って言われ、『捨てました』って言ったら、『勝手に捨てやがって』って怒られるのは私ですからね」
 「僕は認知症じゃないぞ」
 「いっそ丸ごと忘れる認知症になっていただいたほうが…」

 脳の疾患によって認知症という状態になり「大変な人扱い」されるのだが、この高齢ご夫妻の会話にあるように、認知症を知っているからこそ脳に疾患のない状態の人(この国の多数派)の方が手間暇かかると感じている人が増えてきたのではないか。
 これもある意味、「認知症」が知られてきている証ではないかと僕は思っている。

写真

 この桜の花は何年ここで、どれくらいの人たちの悲喜こもごもを見てきたんでしょうかね。
 この木の下で喧嘩もあればプロポーズもあったことでしょう。小便をかけていく犬や人もいれば、登ってきた小僧もいたでしょう。
 きっと声をかけてくれた人は数えきれないくらいいたことでしょうが、そんな賑わいも過去の話で、今ではすっかり空き家だらけの公営団地の様相ですが、人の暮らしは脈々と続き営まれていました。
 人も桜も逞しいですよね。