和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
嘘&方便
およねさんが(仮名)が施設の中を朝早くからウロウロキョロキョロ歩き回っていた。
「どうされましたか」
「いないんです。どこにいったのかしら」
「どなたか、お探しですか」
「うちの子ですよ」
およねさん娘のことなのだが、ご想像のように娘さんは30歳前の大人。
およねさんは、脳の疾患から、娘さんと会った瞬間からしばらくはどこの誰だかわからないようだが、時間が経つと娘と認識でき、親子の会話に入れる。
「子どもさんがどうされたんですか」
「保育園に連れていかないといけないのに、どこに行ったのかね」
「そりゃたいへん、一緒に探しましょう」
およねさん、その介護施設に入居する前にも介護保険制度上の介護施設を使っていたが「徘徊がある・重度の認知症患者」と呼ばれていた。
今でも日本中で「徘徊者」と呼ばれている認知症という状態にある人たちがいっぱいいて「行方不明者扱い」を受けているが、徘徊とは「目的もなく歩き回る行為」であって、「家に帰りたい」「娘を探す」「その場の雰囲気が嫌だから立ち去ろうとする」など、目的をもって行動することを指しているわけではないのにである。
「およねさん、一緒に探しましょう。お手伝いさせてください」
一緒に施設内を探して回りながら機を見て
「およねさん、これ見て見て、ステキですね」
あるモノに目を向けられるようにすると
「あらぁ」
と興味・関心をよせてくれたら、それの話で盛り上げて、再び機を見て
「そろそろ、お腹すいてません?」
というように話題を転換させさせていただく。
こんなふうに、その時の状態・状況に応じた策を講じている介護職はたくさんいる。
徘徊呼ばわりをする=BPSD呼ばわりをする=症状として捉えて対症治療をする=薬物で動けなくする
徘徊呼ばわりをする=BPSD呼ばわりをする=症状として捉える=症状なんだからとかかわらないで放置する
そうではなく
どんな人の行動にも意味や目的がある=その意味や目的を把握する・考える=その意味や目的に沿ってかかわる
というように思考し実践している介護職たち。
とっても「ステキな介護職」だが、そんなステキな介護職は、ステキだからこそ「結局私たちは、私たちにとって都合のいいように嘘をついているだけ」という穴に落ち込みやすい。
前振りが長くなったが、今日はそれがテーマである。
先日もある研修会でそのような質問を受けたが、薬物で動けなくする・かかわらないで放置しておく人たちと根本的に違う「ステキな介護職」の中でも、こういう穴に陥りやすい人は「認知症という状態にあっても、人として『人と人のかかわり』を重視しているだけ、人として人に対して嘘をついてはいけないという倫理が強く働くから」だと僕は思っている。
それそのものは非常に健全であり、認知症という状態にある人たちの側からみても「当たり前のこと」だろう。
でもよく考えるとわかるはずだが、およねさんが認知症の原因となる疾患に罹患していなければ、30歳前の娘を保育園に連れて行くために探し回るはずはなく、これは明らかにおよねさんにくっついた「認知症の行動」であり、僕らは「およねさんそのもの」に応じる専門職ではなく「およねさんにくっついた認知症」に応じる専門職だということであり、そこに「策をもつ=専門性がある」ってことだ。
つまりその人に嘘をついたのではなく、そのひとにくっついた認知症に嘘をついたってことなのだが、さらに深めると、そもそも嘘は「嘘をつく側」と「嘘をつかれる側」があり、どっちの「利」のためにあるかって考えると、嘘はあきらかに「つく側に利を引き込むための言動」である。
介護職員がついた嘘は何のためかを考察すると、脳が壊れたことによって「すでに大人になっている娘を幼児だと描き、幼児の娘に会えるはずもなく困り果てる状態から脱せれるようにする」のが僕らの専門性で、およねさんの「利」のためについた嘘ということになる。
こうやって整理していくと、ステキな介護職は「およねさんに嘘をついたのではなく、およねさんにくっついた認知症に嘘をついた」ということで、およねさんに対しては、くっついた認知症によって困っているのを何とかしてあげたくてついたのだから、これは嘘ではなく「方便」である。
方便とは仏教用語のようで、意味は「命あるもの、心あるものを教え導く巧みな手段」「真実の次元に導くための便宜上の教え」とある。
そんな高尚なことではないにしろ、自分に利を引き込む嘘のように悪いことではないってことで、方便は、ベストとは言えなくてもよりベターな「認知症で困っている人を救うための策」だということだ。
逆にいえば、ウロウロキョロキョロされて困った職員が、自分が困らないようにつくのは明らかに「嘘」であり、その嘘は虐待だと言っても過言ではないことも忘れてはならない。
写真
つい先日、東京を歩いていたら桜の花が咲いていて、道行く僕を見下ろしてくれました。あちこちステキな格好をした卒業生も見かけ、「ホント春本番!」って感じですが、北海道の親友から届いた写真はご覧のように、いまだ冬真っ盛り。
何度も書かせてもらいましたが、世界中の国で流氷から珊瑚礁まで揃っている国は日本だけで、この時期の日本に来てくれれば、雪山でスキー・桜で花見・シュノーケルで珊瑚鑑賞までできますからね。
いやぁ、日本は観光立国化をどんどん進めるべきですね。
※写真を送ってくれた親友に告ぐ! ピントは命!やで