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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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 先日、10年ぶりに石川県羽咋市という町に行かせていただくと、「何となく憶えのある顔」の人がいました。

 一年中たくさんの人と出会わせていただくので、見覚え感も「見たことがあるつもり」になっていることがたくさんあり、その「つもり」を確定させることもなく通り過ぎていきます。

 でも先日は「憶えのある顔の人」が懇親会に参加していて声をかけてくれたので、その人と共通できる決定的な「憶え」が蘇り「そういや、そういうことあったなぁ」「えっ、その時の人なの」ってことになりました。

 10年ほど前、羽咋市での初めての講演会のあとの懇親会でハシャギ過ぎた僕は、靭帯を損傷して歩くことが非常に困難になる失態をおかしてしまいました。

 翌日金沢市での研修会では、後にも先にもその時だけですが、ずっと座って話させてもらうほど痛くて辛い状態でした。

 その時に、懇親会の会場で介抱してくれた人や金沢駅のホームまで担ぐように連れて行ってくれ、見送ってくれた人たちがその場にいたんです。

 その節は、本当にありがとうございました。
 きちんとお礼ができない僕で申し訳なかったです。この場をお借りしてって話なのですが、細かくは憶えきれていなくても「エピソード記憶」って、ほんとステキな記憶ですよね。人と人の関係性を瞬間に取り戻してくれますものね。

 交通事故やスポーツのケガ等で起こると言われている「前向性健忘症」や「逆行性健忘症」、脳の器質的疾患に伴う記憶障がい(認知症のもと)などは、この「ステキ」を奪い取っていきます。

 でも今はまだ、そういう「病からくる状態」になっていないと思われる自分だって、本来なら「その時はお世話になりました」って僕のほうからご挨拶に行くのが筋なのに、そんな大事なことを憶えていない失礼をしても、僕に関わってくださった方々が、そんな僕でも受け入れてくれてフォローしてくださっているから、その場で存在できているってことですよね。

 つまり「憶えていられない病からくる状態=認知症」であろうが、僕のように「憶えようとしない性質(たち)からくる状態=いい加減」であろうが、それが「問題」「失礼」「酷い」になるかどうかは、周りとの関係で決まるってことですよね。

 そう考えると、自分がフォローしてもらっている分、僕もフォローさせてもらわないと社会は成り立たないし、社会が成り立たなければ社会人としての僕の居場所はないですからね。
 少なくとも関わりをもってくださった自分以外の人(他人様)には、ひたすら感謝あるのみです。

 次の週末は「クリスマス」ですね。
 クリスマスはイエスが生まれた記念日のようですが、僕の見方は、クリスマスも初詣も、12月は「今年出会った人・出来事に感謝を感じる月」で1月は「今年出会うであろう人・出来事に感謝を感じる月」なんじゃないかなと思えるようになってきました。

 故・河島英五さんの歌「生きてりゃいいさ」には「君にありがとう、まだ見ぬ人にありがとう」「今日まで僕を支えた情熱にありがとう」とありますが、「記憶する力」や「周りの人の受け止め」といった日常何気なく通り過ぎていくことをしっかり感じとれる「自分の脳づくり」をしたいと「僕の脳」は思うようになり、忘れないように「定着作業」を繰り返すようになりました。

 先週は移動だらけで忙しかったけど、たくさんの人たちに出会い・再開したおかげで、シンプルにこうしたことを再考でききました。

 今年もあとわずかですが、貪欲に脳を使っていきましょう。

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 10歳代・20歳代僕の基本は「ストレート・ロン毛」の自転車野郎でした。
 当時は身体をよく鍛えていましたので、逆三体格・プリプリ尻で、職場のでっかい風呂の脱衣場で先輩のおっつぁんに「ええ、ケツしてるなぁ」って声かけられましたものね。ハハハ

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