和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
特別なこと
人は「生きてくること」を選べない。
にもかかわらず「死ぬこと」は受けて立つ道しかない。
生きてきた以上、生きている以上、必ずや死を迎えるのは自分だけでなく、自分の周りの人にも共通する「絶対」であり、他人の死さえも受けて立つしか道はないということだ。
僕の子どもが交通事故で死んだ。
38歳。
それも受けて立つしか道はないのだが、僕より先に死んでしまうことに、どうにも歯がゆい。
「なんで親の俺より先に死ぬんや」
「なんでお前みたいなステキ奴が、俺みたいな人間より先に死ぬんや」
それだって大いに在り得ることだと思えてはいたが、なかなか巡り合わない「子の死」を体験してみてわかったことは、明らかに「親の死」とは違うってことだった。
今さらって感じに思う人もいるだろうが、僕の率直な気持ちは、自分にとっての「子の死」は、共有してきた時間の長さや生きているうちの関係性では測れない「特別なこと」だということだ。
子どもと切っても切れない存在の数が平均よりも多い僕にとっては、少ない人よりも「特別なこと」に直面する確率が高いということだが、それを受けて立つ覚悟をもたねばならぬ。
それは友だちでも同じで、友だちが増えれば増えるほど、「特別なこと」に遭遇する確率は高くなるし、年齢の低い人間相手の仕事よりも、僕らのような仕事のほうが確率は高くなるってことで、友だちの輪を広げるってことは、高齢者の仕事に就くってことは、救急救命の仕事に就くってことは、その覚悟を以って挑まねばならぬってことではないか。
先に逝った息子には「俺はお前をこの世で迎えさせてもらったんやから、今度はお前が俺をあの世では迎えろよ、丁重に」と伝えたが、知らん顔されるか、礼を以って迎えてもらえるか、新たな楽しみと賭けができた。
ただ、これまであいつにしてきたことの取り返し(修正)はつかないから、ハラハラドキドキではある。
合掌
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